日生劇場『細川の血達磨』

kenboutei2010-03-07

日生劇場で、染五郎愛之助の『染模様恩愛御書』、通称『細川の血達磨』を観る。
日生劇場へ行くのは初めて。今日の芝居のテーマと主演の役者のせいか、客層はほとんど若い女性。隣も宝塚劇場でやはり女性客が集まっており、中年の男が一人で来るのは、歌舞伎座以上に抵抗感があった。(まあ、中に入って座ってしまえば気にはならいのだが。)
「歌舞伎でボーイズ・ラブ」という触れ込みによる集客は、4年前の大阪では成功したようだが、果たして東京でも同じようにいくのかは、よくわからない。まだ開幕から2日目、日生劇場の中2階、2階の両サイドは空席も少なくなかった。(自分は2階席の前列で観た。角度はあるが観やすい。)
そもそもボーイズ・ラブといっても、歌舞伎には『三人吉三』や『桜姫』、『毛抜』など、男色を間接・直接に描く作品はあり、何作か観ていれば、とりたてて驚くことではない。また、あえてそういう設定じゃない普通のドラマの中で、受け手側が勝手に男同士の恋愛関係を妄想することが所謂BLだと認識しているので、そういう意味ではむしろ先日観た映画『惜春鳥』の方が、腐女子心(?)をくすぐるような気がする。
それよりも解せないのは、小姓である愛之助の数馬は、本来彼が仕えている門之助の細川越中守の「恋人」のはずで、そうでなければ染五郎の友右衛門との関係を「不義密通」とする理由に説得力を欠く。従って、元の河竹新七の『細川の血達磨』では、数馬と越中守と友右衛門の「男の三角関係」が描かれているのではなかったのかと想像するのだが、それをあえて「ボーイズ・ラブ仕様」にするため、越中守との関連性を殆どなくしてしまったのではないかという疑問が、舞台を観ている間ずっと頭から離れなかった。
「男同士の純愛」という視点(だけ)で捉え直した結果、障子越しのラブシーンや、果ては染五郎が帯を解かれてくるくる回る場面まで見せる演出は、苦笑を通り越して、よくぞここまで、とすら思うものではあるが、それはもはや河竹新七がそれまでの「血達磨物」をまとめあげた『蔦模様血染御書』とは、全く別のものである。(まあ、そんなことは観る前からわかっていたことではあるが。)
簡略化したセットは、当然ながら細部のリアリティを持たず、こうした「時代劇」では逆効果。後半の火事場の演出も、それほどのものではなかった。
猿弥の横山図書は怒鳴り過ぎ。芝のぶの横山妻いよが、耐える妻役で良かった。
他に春猿上村吉弥、錦吾。
進行を勤める講談師は必要だったのだろうか?