『ラブリーボーン』

kenboutei2010-03-04

丸の内ピカデリー3でピーター・ジャクソンの『ラブリーボーン』を観る。松竹系なので、歌舞伎会カードで1,000円。
「ボーン」というのは、英語でbones、すなわち骨で、だからタイトルは「可愛い骨」という意味であった。(観る前までは、bornの方だと思っていた。)
14歳で殺されてしまった少女が、死後の世界から、残された家族を見守る物語。
愛する者との死後の交流という設定では、『ゴースト ニューヨークの幻』を思い出すが、もちろん、ピーター・ジャクソンはあんなお涙頂戴調の甘い映画(といっても、自分も号泣したものだが)にはせず、現世と天国の「中間」の世界をシュールな映像で見せ、少女を殺した犯人のその後の行動をサスペンス調で描き、これまでのどの映画とも似ていない、独特の作品に仕上げている。
アリス・シーボルドの同名小説の映画化ということで、残された家族の絆と、死んでしまっても行き場のない「死後の少女」の自立がテーマのようで、映画でもその意図は伝わるが、前者のバラバラになりつつある家族が再び結束する部分は、やや描き込みが足りない。スーザン・サランドンのおばあちゃん(!)の活躍ぶりも、どこか突拍子感が漂う。
後者の死後の少女の自立の方は、主役のシアーシャ・ローナンの魅力により、大いに楽しめた。この映画は、彼女の存在が全てといえる。
風のない部屋の中で蝋燭の火が激しく揺らぎ、父親が死んだ娘の存在に気がつく場面、自分は生前初恋の男とのキスもできなかったのに、成長した妹が恋人とキスするのを、シアーシャが見つめる場面、そして、霊感の強い同級生に乗り移って、その初恋の男とのファースト・キスをする場面の計3回、涙した。
前半は結構出ていたシアーシャの弟が、後半殆ど見かけなかったのは、何故だったのだろう。
70年代の懐かしいファッション、特にベルボトムジーンズをはいたシアーシャの、足長のすらりとした少女の肢体は、ちょうどその時代に同じ年頃であった自分の周囲の女の子の記憶にも重なるものがあり、そういう点でもやや感傷的に観ていた。