『稲妻』

kenboutei2010-01-11

10日、国立劇場の帰りに神保町へ寄る。
成瀬巳喜男の『稲妻』。
冒頭は、『朝の波紋』と同じ銀座のショットから。これだけでもう嬉しくなる。そして、その銀座を走るはとバスのバスガイドが、高峰秀子なのだ。
『秀子の車掌さん』では、田舎でデビューしたての初々しいバスガイドだったのが、その11年後、28歳になった高峰秀子は、花のはとバスガイドに出世したのだと思うと、感慨深い。成瀬巳喜男も粋な演出をする。運転手の方は、藤原釜足から高品格に変わっているが、この人選も実に良い。
と、この段階で一人で勝手に盛り上がっていたのだが、物語はそう爽やかなものではなく、母親は同じだが父親はそれぞれみな違う4人兄妹の、家族間の憎愛を描く。
長女の村田知英子は、大きな事は言うものの空回り気味で酒に逃げてばかりいる夫に愛想を尽かし、やり手の小沢栄太郎(当時は栄)に近寄る。次女の三浦光子は、夫の急死で泣き続け、長男で高峰秀子の兄は、仕事も定着せず、ぐうたらな日々。母親の浦辺粂子は、そんな子供達に嘆きはするが、特段、何かできるわけでもなく、ただ目の前の生活に精一杯。一人、高峰秀子だけが、自立した女性として描かれている。
高峰秀子を嫁にしたがっている小沢栄太郎を巡り、長女ばかりか次女の三浦光子までもが、彼の愛人になってしまう、生活苦の実情が、切ない。
父親が全員違うかどうかはともかく、家族間でも出自が複雑なケースは、決して珍しいものではない。(自分の身辺にも当て嵌まるものがある。)また、普通の親子、兄弟姉妹関係においても、近親憎悪的な感情のもつれは、よくあることだ。
成瀬巳喜男は、そうした家族間の微妙な心理を、得意の視線の演技を駆使して、鮮やかに抉り出す。
うだつのあがらない長女の夫が、小沢栄太郎とできてしまった妻を探しに、高峰秀子の元を訪ねる。昼にもかかわらず、一杯のコップ酒を求める義兄に対する、高峰秀子の冷たい視線。そこには、この義兄だけではなく、自分を小沢栄太郎に娶らせようと結託している姉や小沢に対する、軽蔑の念もこめられているというのが、よくわかる。
息の詰まるような、濃すぎる家族の柵からの脱出。高峰秀子は、山の手に一人下宿する。何も言わずに飛び出した高峰秀子を心配し、母親の浦辺粂子が訪ねてくるが、そこで高峰秀子は、「生んでくれなきゃ良かった」と、子供としては絶対的に禁句の言葉をつい言ってしまう。感情の発露に共に泣き出す母と娘。
しかし、さんざん泣いたら、後腐れなく帰路につく親と、それを送って行く娘。
家族ってそういうもんだよなあ、と納得させられて、映画は終わる。
決して何かが解決するわけでもなく(いや、解決すべき事件があるわけでもないのだ)、ただただ、家族間の日常のやりとりが描かれているだけの、やはり成瀬監督独特の「終わらない日常」映画。
高峰秀子の他には、三浦光子が素晴らしい。おっとりとした色気があり、『雪夫人絵図』の小暮実千代のような雰囲気。死んだ夫に子まで生した愛人(中北千枝子)がいても、正妻として案外冷静に対応し、また、高峰秀子と一緒に小沢栄太郎を毛嫌いしていたにもかかわらず、最後はその小沢栄太郎に喫茶店の資金援助をしてもらっている、したたかな打算も凄い。
引っ越した先の隣家に住む、高峰秀子の理想とする兄妹に、根上淳香川京子
高峰秀子のバスガイドぶりは、冒頭の銀座と、後半に両国橋を渡る場面の二カ所だけだった。もう少し、観たかったなあ。

稲妻 [DVD]

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