『鰯雲』

kenboutei2009-07-06

神保町シアター、今回は成瀬特集。さっそく、昭和33年の『鰯雲』を観る。カラーのシネスコ(!)。
戦後の農地解放で、没落して行かざるを得ない、地主農家を描く。
昭和30年代の東京近郊(厚木)の田園風景と、そこで農作業に勤しむ農民の姿は、戦後であるにもかかわらず、あまりに前近代的で、悲しい郷愁を誘う。同じ時代でも、東京を舞台にしている都会的な映画とは全く異質の情景は、もう一つの日本の現実であり、単に美しい田園を懐かしむような類いのものではない。
そして、そこで起こる、家族の崩壊。これも日本社会で起こった、いや今も進行中の現実であり、そういう意味ではこの成瀬映画は、優れた社会派ドキュメンタリーのようでもあった。(まあ、原作が和田伝、脚本が橋本忍ということもあるだろうが)
物語は、夫に戦死され、嫁ぎ先の農家に縛られながらも自分の考えをしっかりと持つ未亡人の淡島千景が、新聞記者の木村功と不倫の関係になっていく展開を描きつつ、だんだんと淡島千景の兄である中村鴈治郎一家のゴタゴタにシフトしていく。
家と土地を守り、本家の体面を保つために、子供の結婚も親の意向を通そうとする家長・鴈治郎に、小林桂樹の長男を始めとする子供達は、次々と反乱を起こして行く。
長男の小林桂樹は、鴈治郎がかつて離縁した(父親に離縁させられた)杉村春子の、再婚相手の連れ子・司葉子と結婚することとなるが、本家としての見栄で豪華な結婚式をした上で、その後存分に嫁を働かせようとする鴈治郎の考えに逆らい、地主だった鴈治郎には屈辱的な賃梳き仕事の請け負いを口実に、町中で同居、事実上親との別居生活を認めさせる。
銀行員の次男は早くに家を離れ、分家の娘で従姉妹にあたる水野久美できちゃった婚鴈治郎は、本当はその水野久美を三男と結婚させ、分家の土地を確保しようと目論んでいたのだが(そのために水野久美が大学に進学するのも本家の威光を傘に阻止したのだが)、肝心の三男は、東京への就職を強行。結局その資金捻出のため、鴈治郎は命よりも大事にしていた土地の一部を手放すことを余儀なくされる。
鴈治郎には、他にまだ女の子二人と男の子一人が残っているが、彼らもおそらく、この土地から離れて行くであろうことは、容易に想像できるのである。
古い家長制度は、誰からも支持されず、結局子供達は親元から離れて行くわけだが、「結婚は家のためにするものではない」と、時代錯誤の鴈治郎に諭していた妹の淡島千景が、甥の小林桂樹やその嫁・司葉子に対しては、「今の新しい時代に、一番立ち向かっているのは、兄だ」と言っていたのが、とても印象的だった。
それは、古い考えや制度はともかくとして、家族を守ろうとする行動そのものに対しての、積極的な肯定であり、翻って、現代を生きる我々にとって、家族を守る行動とは何なのだろうかと、老親を田舎に残し、都会で好き勝手をしている長男(オレのことだ)は、深く考え込んでしまったのである。
未亡人・淡島千景と妻子ある新聞記者・木村功との不倫関係は、木村功の東京転勤を機に終焉を迎える。勤務先が東京になるだけだと説明する木村に対し、たとえ厚木から東京に通うにしても、眠りに帰るだけなら、もはやこの土地の人ではない、と淡島は言う。死んだ夫の家の田畑を一人で守り続ける女は、一方で農民としての誇りもあったのだろう。ラストは、出発する木村を見送らず、一人で田を耕す淡島の姿で終わる。
中村鴈治郎杉村春子のやりとりは、『女系家族』鴈治郎浪花千栄子、或いは鴈治郎北林谷栄の絡みを彷彿とさせる。
次男の下宿先で、コップ酒に口をつける鴈治郎の姿も良い。
淡島千景やその同級生で妾役の新珠三千代は、これまであまり魅力を感じていなかったのだが、この映画では二人とも生き生きとしていて良かった。特に淡島千景は、台詞廻しが自然でうまい。
司葉子が農家の嫁ということで、実に田舎娘丸出しなのだが、その地味さもまた、素朴で親しみが持てて良かった。
一方、水野久美は、農家の娘なのに畑仕事はしない、都会ぶりっ子なのだが、顔だけみると、とても野暮で、逆に田舎臭いのであった。
淡島千景司葉子という、どちらかというと都会的な女優が、泥だらけで農作業をするのも、この映画の一つの魅力であろうが、共に足元も覚束なく、全く農家に見えない。まあ、それをあえて楽しむのも、また一興であるけれど。(この点は、黒澤の『わが青春に悔いなし』での原節子の農作業が凄かったなあ。)
他に、飯田蝶子加東大介清川虹子賀原夏子毒蝮三太夫(この時期は石井伊吉のクレジット)らの出演。清川や賀原は、さすがに農家の女がよく似合っていた。(しかし、農作業のシーンはなかったような気がする。)
戦後の家族の崩壊を描く映画としては、例えば小津の『東京物語』がよく引き合いに出されるが、『鰯雲』も、それに劣らず、もっと多く語られて然るべき、骨太の大作、充実の130分であった。