五月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2009-05-10

昼の部との入れ替え時間がわずかのため、歌舞伎座前はいつも以上の大混雑。まあ、これも今の歌舞伎座でしか味わえない風景か。
『毛剃』團十郎の毛剃九右衛門。登場からしばらく、何を言っているのかさっぱりわからなかった。元々、台詞廻しにクセがある上に、長崎訛りの誇張された調子が加わり、意味不明の音響。それでも、少し慣れてくると、「木場の目玉」というフレーズが出てきたりして、ちょっとニヤリとなった。(もちろん近松の原文にはない歌舞伎の入れ事だろうが、いつ頃からなのだろう。九代目からかな。昔、国立で吉右衛門がやった時にも入っていた台詞だろうか。もしかしたら成田屋だけの演出かもしれない。)
汐見の見得は、眼光の鋭さが印象的だった。
台詞はともかく、團十郎の九右衛門は、海賊としての雰囲気はたっぷり持ち合わせている。後半のおどけ具合も含めて、大きくてユーモラスな、憎めない海賊。手下と一緒の手踊りも楽しい。(でも、元々、そんな芝居だったかな?)
藤十郎の宗七は、既に手に入った役。菊之助を相手にしても全く違和感なく若い恋人同士に見えるのが凄い。毛剃と宗七の対決は、筋書で藤十郎が言っているような、「江戸荒事対上方和事」の面白さまでには達していなかったが、それはどちらかというと、團十郎の台詞のまずさによるものだろう。(それにしても、この宗七役は、どうしても死んだ宗十郎を思い出してしまう。)
菊之助の小女郎。まずは團十郎藤十郎を相手に、堂々とした傾城であったのが何より。小柄な藤十郎に合わせて身体を丸く沈める形もなかなか良かった。ただ、最後の花道の引っ込みは、何となく棒立ちのようになっていて、二人のバランスが崩れていた。髪梳きの場よりも、奥座敷の場の方が情愛があって良く、特に、宗七の汗を拭うために、懐紙を相手の胸の中に入れる仕種が、色っぽくて好きだ。
秀太郎の奥田屋女房。
『夕立』「小猿七之助」の清元舞踊バージョン。菊五郎七之助時蔵の滝川。出演はこの二人だけ。
今月の演し物、特に夜の部は、アンケートまでとって露骨なほど売れ筋の芝居を出している「さよなら公演」にしては、その意図がわからぬ狂言立てばかり。この『夕立』も、おそらく菊五郎時蔵の踊りを出すことだけが先に決まっていたのだろうとはいえ、何も「小猿七之助」にする必要はないと思うのだが・・・。次の『神田ばやし』もそうだが(これは三津五郎が発掘したと筋書にはあるが)、引っ越し前の「虫干し」と考えると、まあ少しは納得か(?)。
それはともかく、菊五郎七之助、滝川を犯した後のイヤらしさは、何だか芝居には見えない程、リアルであった。時蔵の滝川は逆に、犯された後の変節が、あまりに当たり前のようで、これも何だか違う意味でリアルだ。観客置いてけぼりの踊り。
どちらかというと、普通の芝居バージョンのを観たかった。(最初に観たのは猿之助雀右衛門コンビだったなあ。)
『神田ばやし』初めて観る。宇野信夫の作。
よそ者に対する日本人の差別意識を、長屋で紛失した金を巡る世話物として痛烈に炙り出す寓話で、筋立て自体は面白いと思ったが、それを深く心に刻ませるまでの芝居になっていなかったのは、キーパーソンとなる桶屋留吉を演じた海老蔵の演技が、未熟だったからであろう。
人の良さを表そうと、弱々しい発声、上っ面の台詞廻しで芝居をするので、その人物の芯が全く見えない。本来、留吉は、周囲の人を冷静に観察し、また人間の奥に潜む暗い心理を糾弾する、表と裏のある複雑な人物である。決して人の良いだけの男ではない(のに、そう見せようとする役作りがそもそも間違っているのだと思う)。
三津五郎の大家が、そういう心理的な面も含めて充実しているだけに、実にもったいない。勘三郎の留吉で、八月の納涼歌舞伎で観たかった。(そうする価値のある佳品だと思う。)
冒頭の長屋は、人多過ぎ。
筋書に紹介されている、宇野信夫のことばが、味わい深い。
『おしどり』久々の、旧三之助(そんな言い方していいのかな)による、舞踊。
歌右衛門の莟会は知らないが、セリ上がった時の高揚感は、この三人にも感じるものである。今はそれぞれ一人立ちした三人が、一緒に出るだけでワクワクするのは、おそらく子供の頃(いや実は今もなのだが)、ウルトラ兄弟仮面ライダーが揃った時の興奮と同じ類いのものなのだと思う。
セリが上がり終わり、ちょっと舞台に広がって三人が形になるところの、バランス美。松緑の赤っ面の力感、海老蔵の人形のような綺麗さ、そして菊之助の美貌。菊之助が花道で見せる素足の美しさも、たまらない。(何だかエロおやじみたいな感想だが、正直、その通り。)
この三人の代表作として、今後も続けてほしい一幕。もちろん夜の部で一番良かった。