五月新橋演舞場 昼夜

kenboutei2009-05-02

五月の新橋演舞場吉右衛門一座。初日を通しで観る。
昼の部
金閣寺筋書の上演記録を観ると、吉右衛門の松永大膳は、東京では初めてのようだ。(歌舞伎座での大膳は、幸四郎がほぼ独占。ちょっと偏り過ぎだ。)
御簾が上がって、吉右衛門の大膳が現れた時、その異様な大きさに圧倒される。王子の鬘を含めて、顔の大きさが、囲碁で対局している錦之助の2倍はある。顔だけではなく、身体全体も、2倍だ。この極端な誇張表現が歌舞伎であり、それを体現できる吉右衛門の、歌舞伎役者としての真髄でもあろう。それは単に外形的な大きさだけではなく、その大きさを納得させられるだけの、役者の肉体から発する存在感の大きさである。
この、最初のワンショットだけで、自分はもう吉右衛門の大膳に心酔した。
雪姫を詰問する台詞も時代味たっぷりで、多少プロンプがついても、それは全く気にならない。
滝に刀をかざす形も見事、後半の立ち廻りまで、その大きさに圧倒されっぱなしの大膳は、自分のこれまで観たこの役(といっても幸四郎しかいないのだが)では、最上である。
芝雀の雪姫は、こっちは本当の初役。おっとりとした感じが、大変良かった。上手の障子の奥で、チョボに合わせて腕や首を動かす、座ったままの上半身だけの仕種が、いかにも歌舞伎っぽい古めかしさであり、美しさである。
爪先鼠のところは、人形振り。自分も初めて観る演出だが、ここはあまり面白くなかった。腕をしばられたままでの人形振りというのは、かなりの制約であり、京屋の型とのことだが、これで人形っぽさを表現するのは、よほどの技術を要すると思う。逆に言うと、人形振りをうまく見せるのに、いかに手や腕の動きが重要かということでもある。また、芝雀の魅力は、前段の障子奥での所作のような、上半身の、それも腕の動きにあるのだと、気がついた次第。芝雀自身は、大汗をかいての大奮闘で、全体としては、とても良い雪姫であったと思う。
ただ、その汗のせいで、天井から大量に降り注ぐ桜吹雪の花びらが、芝雀の顔にくっついて、非常にみっともなかった。(後見がきちんと処理すべきである。)この場での桜吹雪の圧倒的量は、歌舞伎の過剰美を表現する上で実に効果的ではあるのだが、それは桜の木に縛られている雪姫との対比でこそ、美しいのであって、今回は人形振りのため、縛られていても割合と自由に芝雀が動いており、そこに大量に降り注がれても、何だかうるさいだけに感じた。
歌六の正清は、赤っ面に黒の隈取りがよく映えていて、そこにいるだけで、雰囲気があって良い。吉右衛門芝雀歌六と、このバランスが素敵な歌舞伎絵になっている。こういう古典味たっぷりの絵になる歌舞伎を、本当は、さよなら歌舞伎座公演で、もっとたくさん観たいところなのだが。
染五郎の東吉は、吉右衛門と対峙するとさすがに格落ちするが、花道の出や一人での立ち廻りなどは、なかなか様になっていた。
『心猿・近江のお兼』いつもの「近江のお兼」の前に、「心猿」がつく。絵馬から白馬と猿が抜け出て踊りだし、そのまま「近江のお兼」に移行する。福助が、猿とお兼。猿の方は、愛らしい猿のかぶり物で踊るのだが、ぬいぐるみの頭だけとってきて被った感じがする程の大きさで、これで踊りを見せるのは、いかにもバランスが悪い。福助は、両手を猿の手振りで前に出したりしておどけてみせるのだが、頭のぬいぐるみが邪魔で、全然面白くない。ちゃんとした踊りを見せたいのなら、ぬいぐるみではなく、猿のお面程度でいいのではないかと思った。(最後に、白馬の鼻先で「反省」のポーズをとったのには、ちょっと笑ってしまったが。)
「近江のお兼」に移ってからは、冒頭の笑顔が引きつり過ぎているのが難だが、踊り自体は良かったと思う。
金閣寺」でもそうだったのだが、立ち廻りの時、三階さんの一人のとんぼが、斜めに飛んでいて形が悪く、とても気になった。
『らくだ』吉右衛門が初役の久六。初日とあって、吉右衛門にも台詞が入っておらず、特に、肝心の酔った後の台詞がぐだぐだ。松永大膳ならプロンプでも格好がつくが、テンポや間が命の世話物、しかも喜劇では、ほとんど芝居の体を成さない。日が経つにつれ、良くなるだろうが、そもそも吉右衛門の久六というのは、いくら初代の演し物とはいえ、ちょっと柄ではないような気がする。
歌昇の半次は、吉右衛門よりは台詞は入っていたが、三津五郎が演じた時のような、アナーキーさには欠けていた。
段四郎の家主女房が、意外と面白く、今後もこういう役が期待できる。
この一座では重宝されている由次郎は、栄えある死体役。台詞を言う必要はないので、初日から快調。
夜の部
鬼平犯科帳〜狐火』前回の「大川の隠居」が大変良く出来ていて感心したのだが、今回の「狐火」も、うまくまとまっていて、見応えがある。
「盗みはすれど非道はせず」の日本駄右衛門のような盗賊グループ「狐火」を騙って、繰り返される強盗殺人事件の謎を追う。初代「狐火」の遺児二人に錦之助染五郎。かつて狐火の一味で、今は鬼平密偵となっている、おまさに芝雀
三幕目の「離れ座敷の場」が実質的なクライマックス。染五郎錦之助の最後の対決が、お互いにまだ力み過ぎており、もう少し工夫が必要かと思った。芝雀のおまさに対しての、吉右衛門鬼平の行動が心憎い。それにしても、この鬼平役は、気持ちが良いだろうなあ。
歌六が、盗賊から足を洗って茶屋を営む源七役。
ニセ狐火一味の剣豪として、由次郎が吉右衛門に立ち塞がるが、竹と一緒にあっさり切られてしまった。
隼人の娘役は、もう限界だろう。(観客に笑われていたぞ。)
『お染の七役』以前、玉三郎で観ているようだが、ほとんど記憶がない。2時間もかかるとは思わなかった。
福助の七役は、どれも悪くはなかったが、やはり土手のお六が、一番魅力的であった。芝居自体も、お六の絡む「莨屋の場」と「油屋の場」が面白い。(この場の玉三郎の記憶が全くないのだ。) あとは、早替りを単純に楽しめば良い。
染五郎の鬼門の喜兵衛、段四郎の久作。
福助がお染で観客席に降りてくるサービス。演舞場を見回し、「タッキーが観たい」と言っていた。
「油屋の場」では、吉五郎と蝶十郎で、「ダイジョブ、ダイジョブ!」と小島よしおのギャグをやり出し、福助染五郎が必死に笑いを堪えて下を向いていたが、そんなにおかしかったかな。(むしろ、「やっちまったかぁ」という笑いだったのかもしれない。)