『秀子の車掌さん』

kenboutei2009-04-23

会社帰り、神保町シアター。(4月はあまり行けなかったなあ。)
今日は成瀬巳喜男監督、『秀子の車掌さん』。
最近、怒濤のごとく(でもないか?)、戦前・戦後の日本映画を観てきて、必然的に高峰秀子の魅力に嵌り、すっかり「デコ・ファン」となってしまった者にとっては、タイトルに本人の名前がそのまま出る、典型的なアイドル・スター扱いの映画を見逃すわけにはいかなかった。
田舎のバスの車掌は、もちろん高峰秀子。運転手は藤原鶏太(釜足)。オンボロ・バスで客もまばらな状況を打開しようと、秀子の車掌さんは、たまたまラジオで聞いたバスガイドの名所案内を、自分でやることを思いつき、東京から来ている作家(映画の原作者・井伏鱒二をモデルとしているようだ)の夏川大二郎に原稿を頼み、練習も済ませ、いよいよガイド・デビューする・・・。
60分にも満たない小品だが、甲府の山々に囲まれた田舎道や田圃の風景が、とても印象的。バスの運行ものんびりしたもので、仕事中で客もいるのに、高峰秀子は途中で実家に寄って下駄に履き替えたり、走行中も道端の弟におやつを投げ与えたりする。客は客で、トラックの荷台代わりに、大量の荷物や鶏まで載せる。その鶏が逃げ出すと、バスを止め、運転手も車掌も総出で追いかけるのだ。
当時17歳の高峰秀子は、アイドルに相応しい清楚さに溢れている。田圃の畦道を下駄履きで駈ける姿や、ガイドの練習で、夏川大二郎に教えられて、右手を動かす仕種など、今ならまさしく「萌え」の対称である(デコ萌え?)。もちろん、ガイド独特のイントネーションを、ちょっと恥ずかし気に言うのも、実に愛らしい。
高峰秀子の可愛さ美しさは、時代の流行に左右されていないところが特徴的である。その時代を代表する美しさではなく、普遍的なものがあり、だからこそ、どの世代からも愛されるのではないだろうか。
相変わらず、藤原釜足がいい味を出している。夏川大二郎の作家役は、自分でバスガイドの口上を述べるのが、様になっていて面白い。
ひと癖あるバス会社社長役の勝見庸太郎が、個性的で印象に残る。
作家が固辞したことを知らずに、社長が持って行けと運転手に渡したバスガイドの原稿料を、藤原釜足がそのまま夏川大二郎に渡していたが、自分はてっきり藤原釜足がその金をくすねる展開になると思い込んでいたので、拾ったものを交番に届ける日本人に驚く外国人のような気分になったと同時に、そう思い込んだ自分が恥ずかしくなった。この作品は昭和16年のものだが、戦時中でも、日本人の美徳はまだ失われていなかったのである。
夏の暑さの描写や、音楽も含めたほのぼのとした雰囲気は、同じ時期に作られた『旅役者』と共通する。
東京へ戻る夏川大二郎を見送りに、踏切りで待つ高峰秀子藤原釜足。窓から手を振る夏川大二郎だが、列車の動きが早くて、顔も確認できずに通り過ぎて行った。これも、当時のロケ撮影の様子がわかって、むしろ微笑ましい。