7月国立劇場・歌昇の『四の切』

kenboutei2008-07-20

当日券で国立の鑑賞教室。午後2時半の回。午前の回は満員御礼、午後の部も、ちょうど正午に窓口に行って、3階2等席があと3席ほどしか残っていなかった。明日の分も聞いてみたが、ほぼ同じ状態で1階は全くなく、諦めてそのまま購入。こんなことなら先々週にしていてもよかったんだなあ。
入場すると、親子がたくさん。今日は夏休み企画の「親子で楽しむ歌舞伎教室」。(そういえば去年もそうだった。)3階席の自分の周りも、頑是無い子供ばかりで、賑やか。芝居が始まってもおしゃべりする子もあり、大人の雑談よりは気にならなかったが、やはりもう少し静かな環境で観たかった。
解説の「歌舞伎のみかた」は、宗之助。特段変わったことはなかったが、次の芝居に合わせて、狐が活躍。床の太夫が、「研修生募集」とアナウンスしたのが、ちょっと驚いた。(会場の親子に対する宣伝としては面白いが、一方で「男性のみ」と言わざるを得ないのが、難しいところ。)
公演の方は、義経千本桜』「四の切」。歌昇初役の狐忠信。
歌昇は、前半の佐藤忠信富十郎に教わったというのが如実にわかる丁寧な演技で良かったが、何と言っても、後半の狐になってからの忠信が素晴らしかった。
久しぶりに、『四の切』で、きちんとした狐詞を聞けたような気がする。特に今回、歌昇の台詞廻しを聴いていて初めて気がついたのだが、歌昇の台詞の調子が、床の三味線の調子と、きちんと合っていることである。これは床の寿治郎の功績なのかもしれないが、とにかく、三味線のチンという音に続く歌昇の台詞の調子、歌昇の台詞の後についていく三味線の音色が、見事に一つの音曲として、耳に心地良く伝わってきたのである。
これまでも自分は義太夫狂言について言及する時、「糸に乗った演技」とか何とか(シッタカブリニ)書いてきたが、それは役者が床の台詞にうまく合わせているか、あるいは、役者がきちんとした義太夫節を身につけているか、といった観点でしかなかったのであり、本当に「糸に乗っている」というのには、役者と床の音(調子)のやり取りが、非常に重要であることに、今日、初めて気がつかされたのである。これこそが、義太夫狂言の面白さなのだと思った。
そういう意味で、今日の歌昇の芝居と床のコラボ(浄瑠璃は東太夫)は、自分にとって特筆すべきものだった。
それ以外でも、歌昇の狐忠信は、前半の佐藤忠信同様、非常に丁寧。指先の一つ一つにまで神経が行き届いているのが、三階からでも見て取れた。(静御前に斬りかけられて、さっと左手を差し出し押しとどめようとした時に、その手の指を一本ずつ順番に開いていった。これは自分は初めて気がついた。他の役者の時でもやっていたのかなあ。)
義経役の種太郎も非常に良かった。キリッとした面構えの上、行儀良い。台詞もしっかりしており、今後が楽しみ。
高麗蔵の静御前は、忠信への思いやりと義経への愛情が、過剰にならずに滲み出ていた。三人のバランスが良かったのだと思う。
最近、とかく崩れがちな歌舞伎芝居の中で、どこに持って行っても恥ずかしくない、古典の骨格を守った舞台が、非常に気持ちよかった。
歌昇親子の勝利と言っても良い。(「歌昇親子を楽しむ歌舞伎教室」でした。)