十二月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2007-12-12

今日はホストとしての観劇。個人的にはまた月末に観る予定。
寺子屋勘三郎の松王丸、海老蔵の源蔵、勘太郎の戸浪、福助の千代という、新鮮な顔合わせ。勘太郎は初役、海老蔵新之助時代の浅草歌舞伎以来、勘三郎の松王は歌舞伎座初で自分も初見。
海老蔵の源蔵は、最近の義太夫狂言における破調ぶりから、どうかと思っていたが、案外神妙。特に前半の引っ込む前までは、台詞の一つ一つも丁寧で、また、観客に分かりやすく話そうとしている気持ちが伝わる。観客の方も、例えば「いずれを見ても山家育ち」とか「玉簾の内の御誕生と、薦垂の中で育ったとは」の台詞などには敏感に反応しており、これは海老蔵の手柄だと思う。
ただ、相変わらず顔の表情が激し過ぎ、義太夫の詞を顔で表現しようとしている。文楽人形でさえ、顔のパーツで動くのは眉と目くらいであり、しかもあまりそういう仕掛けを使わずに感情表現するところが、人形遣いの腕の見せどころであるのに、役者の海老蔵は、下手な人形遣いに遣われているような、百面相ぶりであった。
義太夫狂言に意欲的に取り組んでいることはわかるが、「糸に乗る」芝居が、浄瑠璃の詞を聴いたまま、それを身体(顔を含む)で伝えようとすることではないことには、早く気がついてほしいものだ。
勘三郎の松王は、ニンになく、やってることにおかしな点があるわけではないが、面白味は全くない。
勘太郎の戸浪がなかなかの出来映え。福助も良かったのだが、いろは送りで白装束になってから、上手でぐったりしているのは、老婆のようであった。
『粟餅』三津五郎橋之助。とても面白く、食後の眠気も感じなかった。三津五郎はもちろんだが、橋之助の上半身の動きと形の良さに感心した。国貞の絵から抜け出たような、軽妙で洒脱な、二人の踊り姿。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』有吉佐和子原作で、文学座杉村春子から、玉三郎に伝わった人気戯曲だそうだが、もちろん自分は初見。
幕末の動乱期に、自殺した花魁が、いつの間にか攘夷女郎に仕立て上げられる様を、玉三郎中心に、今月の一座総出演で熱演。
次の幕に行く度に、勘三郎海老蔵三津五郎などが登場してくる、まさに総出演なので、長時間ではあったが、全く飽きなかった。
一番印象に残ったのは、七之助の遊女亀遊。一幕目(ここの舞台装置も見事)で、布団から身体を起こして顔を見せた時の、その美しさには、思わず息を呑んだ。病気の遊女の儚さが、その全身から伝わってくる。隣に座る玉三郎のお園が大柄で健康そうなだけに、余計にそう思った。自分にとっては、七之助女形としての美しさを初めて認識した舞台となった。
原作がしっかりしているだけに、また既に中日近くにもなっており、各役者の芝居も破綻なく、スムースな進行であった。
勘三郎遊郭主人、やはりこういう芝居では水を得た魚のように生き生き。
獅童の通訳は、途中でトチって笑いを堪えていた。(この役だけは、勘太郎と替わった方が良いと思った。)
福助の唐人遊女は、本人が納得して演じているとしたなら、ふざけ過ぎである。
三津五郎の攘夷武士は、最初からお園を疑っているような態度であった。
 
寺子屋」が歌舞伎らしくて面白い、「ふるあめりか」は長過ぎる!・・・というのが、今日のゲストの一人の感想だった。