新橋演舞場・勘三郎奮闘公演

kenboutei2007-10-21

定式幕がいつものとは異なり、白の入った中村座の幕であったのが、勘三郎一座の奮闘公演であることを物語る。
俊寛連日の『俊寛』。まさに、「明けても俊寛、暮れても俊寛」。
さて、勘三郎俊寛だが、何だか平凡。まだ勘九郎時代に観た時の方がよかったな。全体に気力がなく、妙に老成してしまった感じ。
ただ、最後の幕切れの表情だけは、非常に良かった。ビデオで観たことのある、父・勘三郎と同じ表情。もはや思い残すことのない、仏のような表情。それは幸四郎の虚無とも、梅之助の満足感とも異なる、慈悲心とでも言おうか。
勘太郎の成経、七之助の千鳥。
亀蔵の康頼が全くニンになく、ミスキャスト。
『連獅子』親子三人による、三人連獅子。前シテが特に素晴らしい。勘太郎七之助の仔獅子の動きがピタッと揃っていて、それに勘三郎の親獅子もきっちりと合わせる。面白い舞台であった。後シテの方も、以前のように、力任せに振り回す毛振りではなく、踊りとしての毛振りとなっていて、三人の息も揃って気持ち良い。
連獅子を三人でやるのは、舞台も狭くなるし邪道のような気がしていたのだが、谷底に落とされる獅子は二頭であった方が、親と子のドラマがより広がることを、今回発見した。これも、中村屋親子の踊りのうまさによるものであろう。
脱帽。
文七元結山田洋次監督の演出が話題となっていたが、特別変わったという印象はない。冒頭の夫婦のやりとりで、行方不明のお久が、女房お兼の実の子ではないことが、いつもより強調されていたのが、感心した程度。あとは山田監督の演出なのか勘三郎のアドリブなのか、自分にはよくわからなかった。最後の文七とお久の縁談話に、勘三郎の長兵衛がなかなか気がつかないのも、意味のある演出とは思えない。
翫雀のお兼がうまくて面白い。芝のぶのお久が可愛いが、角海老での粗末な着物が、あまりに貧相でリアルすぎる。(これは演出の問題だが。)
期待していた芝翫角海老女房が、意外につまらなかった。世話に寄りすぎ、『一本刀土俵入』のお蔦のようであった。
小山三が元気で何より。
 
それにしても、新橋演舞場の座席は傾斜が緩く、前の人の頭で全く舞台が見えなくなるので、嫌いだ。