玉男一周忌追善・九月文楽公演

kenboutei2007-09-24

九月の国立・文楽公演は、吉田玉男の一周忌追善。今日が千秋楽で、ちょうど、玉男の命日でもあった。(あの日も、ここに来ていたのだった。
一部は、『夏祭』の通し。観ている方も通しでウトウト。
初めて観る「道行」と「団七内」が面白かった。特に道行では、磯之丞を騙した伝八が首吊りで殺されるのだが、人形の首吊りシーンが、結構エグイ。「団七内」は、屋根の上での捕物となり、セリを使った舞台効果が鮮やかであった。
「道具屋」は、平成14年9月の時に観ているはずなのだが、全く覚えておらず、今回、改めて新鮮に観ることができた。(それもどうかと思うが。)
磯之丞は、匿ってもらっている道具屋で、そこの娘お中といい関係になっている。歌舞伎での上演では普通、磯之丞の恋人は傾城琴浦一人しか登場せず、お中という別の女性の存在は、結果的に無視されている。しかし、このお中の存在、というより磯之丞のモテぶりは、案外重要であり、この件があることで、その後の「三婦内」も、少し意味合いが違って見えたのである。
道具屋の後、お中との心中騒動(「道行」)を経て、いつもの「三婦内」では、琴浦にお中の事をを責められ、「据え膳とふぐ汁を食はぬは、男のうちではないわいやい」と平然と開き直る、この磯之丞の女癖の悪さ(?)が、結果的に三婦がお辰に磯之丞を預けようとしなかった、もう一つの理由であり、歌舞伎の場合、もっぱらお辰の「色気」だけが強調されるが(まあ文楽でもそうだが)、実は磯之丞側にも「危険な匂い」があること、それを周囲は当然のことと思っていることが、今回の通しではっきりわかった。
床の方は、全体を通してあまり印象がない。「長町裏」の義平次を語った伊達大夫が、雰囲気があって良かった程度。住大夫は「三婦内」の前半を語る。
子供のような寛太郎が、最初の三味線に出演。確か寛治の孫だったと思うが、こういう芸は若ければ若い程良いそうなので、是非頑張って欲しい・・・と、ここまで書いて技芸員名鑑で確認したら、昭和62年生まれ、もう大人じゃないか。
第二部が、玉男追善の『菅原』の半通し。弟子の玉女が菅丞相を遣うというので、話題になっていた。
「加茂堤」「筆法伝授」「築地」「杖折檻」「東天紅」「丞相名残」と、菅丞相を中心とした構成。(これに「天拝山」も加えてほしかったが。)
見どころ、聴きどころは、やはり「丞相名残」だろう。十九大夫、富助の床が、非常に良かった。十九大夫は、こういう繊細さが求められるような段には向かないと思っていたのだが、いつもの強引な語りを控え、できるだけ丁寧に語っていたように思う。前回の『太十」に続いて、十九大夫を見直した。(ただ、その後、帰宅してから、山城少掾のCDを聴いてみたら、やはり全然違う。十九大夫を良いと思ったのは、舞台袖の電光掲示の詞章を読みながら聴いていたので、その分、いつもの十九大夫の聴き取りにくさが軽減されていたのかもしれない。もしかして、「太十」もそうだったか?)
玉女の初めての菅丞相が、よく頑張っていた。当然ながら、玉男のそれより、若々しさのある菅丞相。その分、讒言による流罪の悔しさ、怒りといった感情が、ストレートに伝わってきた気がする。
歩いたりする動きは、まだぎこちなく気品が足りないように感じた。特に、玉女の癖なのか、右肘を横に張りすぎて、そこに菅丞相の袖が被さり、人形がきれいに見えない時があるのが、残念。
ただ、「身は荒磯の島守りと」のところの、菅丞相の嘆きの形は、まことに立派であった。
東天紅」では、簑助が奴宅内で登場。歌舞伎でいえば「ご馳走」といったところか。
ロビーでは、上演資料集で連載していたという、森西真弓氏の聞き取りによる玉男の芸談を纏めた、『吉田玉男 文楽藝話』が販売されていたので、購入。今日の演目についても載っており、観る前に目を通す。今後の文楽鑑賞にも重宝しそうな本。国立劇場の良い仕事である。