『ふるさと』

京橋での溝口特集。最近はなかなか行けてなかったのだが、今日はうまく時間を作れた。
藤原義江主演の『ふるさと』。予想通り、それほど混んでいなかった。
初期の国産トーキー作(ミナ・トーキー)で、最初にその紹介があってから映画が始まる。実際はサイレント部分もあるパート・トーキー。なぜか英語の字幕がついてあり、それがかなり目障りだった。
「我等のテナー」藤原義江演じる売れないオペラ歌手が、パトロンの女性に見出されて有名となり、妻も見捨てて社交界に入り浸るが、交通事故で歌えなくなるとパトロンにも見捨てられる。しかし妻や昔の友人に支えられ、再起する、というお話。
1930年の作品で、昭和初期の、いかにも日本的な家屋や衣装の中で西洋ファッションが入り交じり、何ともチグハグな当時の風俗が一番興味深かった。
特に、パーティー場面での、紙吹雪を巻き散らかしながら、洋装・和装様々な男女の舞踏をハンディ風に撮影するカメラ・ワークの奔放さは、この映画が一体いつの時代のどこの国のことであるのか、一瞬わからなくさせ、何だか前衛映画を観ているような気分にもなった。
また、パトロン女性役の浜口富士子の造形も、現代に通じる、キュートでちょっと気の強い小悪魔的魅力があって、時代の古さを感じさせなかった。
役者がトーキーに慣れていないのか、それともトーキー撮影そのものの制約なのか、何ともヘタクソな三文芝居が随所に見られ、苦笑を禁じ得なかったが、一方でカメラはよく動き、トーキーのもたもた感を、サイレント場面のカメラの躍動感で補っているようでもあった。
圧巻は、ラストの藤原義江の熱唱。群衆の前で、「ふるさと」と、もう一曲(名前がわからない。)を高らかに歌い上げる。観客からは、「大統領!」「藤原!」という声がかかる。全く歌舞伎の大向こうと同じである。当時の藤原義江の人気が伺える名場面であった。
帰ってから藤原義江のことをネットで調べると()、何と藤原歌劇団創始者であった。イギリス人とのハーフで、どうりで彫りの深い日本人離れした顔立ちであった。なかなか波瀾万丈な人生を送ったようで、一度関連する書籍を読んでみたい。