『太陽』

kenboutei2006-10-27

銀座シネパトス。7時30分まで残業し、午後8時の回。(金曜日に観るにはちょうどよい時間帯。)
昭和天皇を描くということで、外国人でなければ撮れず、また、日本では上映すらできないのではないか、と言われた分、期待感は高かったのだが、何のことはない、権力者の孤独を観念的に描いただけにすぎなかった。
天皇が戦時中、「(家族以外の)誰からも愛されない」と嘆き、現人神から人間宣言することで、「自由になった」と呟くなんて、そしてそれをそのままスクリーンで見せられるなんて、あまりにも芸がなさ過ぎる。
天皇だって家族を愛するということを、皇太子の赤ん坊の写真に口づけしたり、ラストの皇后との再会シーンで表していたが、そんな映像よりも、これまで目にしてきた御製の記録映像や写真の方が、皇室の家族愛は伝わってくると感じたのは、自分が日本人だからだろうか。
イッセー尾形昭和天皇も、口のパクパクと「あ、そう」を連発しすぎで、形態模写と演技を勘違いしているようだ。桃井かおりの皇后まで、「あ、そう」を繰り返す始末。
敗戦後の米国人記者による写真撮影で、チャップリンに似ているとからかわれても、花を見つめてポーズをとる天皇(というか、ここではただのイッセー尾形にしか見えなかったが)のシーンは、普段皇室や国家に無関心な自分ですら、不愉快な気分になった。
マッカーサー役の俳優のおでこも、それはないだろう。
良かったのは、魚をB-29に模して東京を空爆する天皇の夢のシーンや、廃墟と化した東京のイメージの酷くはあるが不思議な美しさ。冒頭から延々と続く、地下防空施設の閉塞感も興味深かったが、突然敗戦後のマッカーサー会談へ場面が切り替ったのには戸惑った。(直前で少しうとうとしたので、寝過ごしたかと思ってしまった。)
御前会議での鉛筆の音、学者と対談している時の虫の羽音などに、初めて観るソクーロフ監督のフェチな部分を感じた。
意外と人気でロングランとなっているが、自分にとっては、「戦時中の天皇の苦悩と孤独をリアルに描く」のではなく、あくまで「権力者がいかに孤独で、しかも神とまで崇め奉られることがいかに滑稽であるかを、ややコミカルに描く」、一種の怪作・奇作としてしか、記憶の中に残らない映画となるだろう。