六月歌舞伎座夜の部

kenboutei2006-06-10

『暗闇の丑松』菊五郎が国立で演じた時以来かな。救いのない芝居で、かつ歌舞伎っぽくないので、あまり好きになれなかった記憶がある。
幸四郎の丑松は、人物造形が中途半端。最初の出では、二人の人間を殺したばかりにもかかわらず、料理人としての朴訥な雰囲気もあって(「籠釣瓶」の前半の次郎左衛門のように思えた)、非常に違和感があった。菊五郎で観た時は、一貫して二枚目の侠客といった感じであり、そっちの方が自分にはわかりやすかった。
福助のお米もひどい。台詞の調子に一貫性がなく、丑松にすがりつく時は現代劇、自分の過去を語る時は新歌舞伎、自殺を覚悟して酒を酌み交わす時は怪談調と、役の性根を捉えようとすることすら放棄した表層的演技である。
幸四郎福助という歌舞伎の中でも大きな名前の二人が、何だか歌舞伎を壊しているような気持ちにすらなった。
そうした中で、目が覚めるような思いだったのは、四郎兵衛内の場。朝、遅く起きてきた秀太郎のお今と段四郎の四郎兵衛。縁側で段四郎が歯を磨き、秀太郎がお茶を入れている光景が、江戸の朝の生活の一部を見事に切り取っていた。この場のセットも見事。
でも、良いところはそこだけだったなあ。
お米の死んだ身体が運ばれ、ぼんやりと灯りに映し出された死に顔は、さすがに福助で、綺麗だったが。
あと、錦吾の杉屋妓夫三吉がうまかった。
『身替座禅』仁左衛門玉の井は新鮮。後ろ向きで形になるところが、いちいち綺麗。これまで沢山の玉の井を観てきたが、一番狂言的雰囲気があった。
菊五郎の右京は嫌いではないが、今日のはかなり飲み過ぎの右京であった。

『二人夕霧』梅玉の伊左衛門は無理があろう。魁春の夕霧も同様。よってこの二人で踊る後半は、低温な舞台となった。時蔵の後の夕霧が一番良かった。本当は魁春と取り替えて先の夕霧をやってほしかったが、序列の関係で難しいのかな。
竹本を含めて、割合舞台は華やかだったので、思っていたよりは面白かったが。
 
それにしてもこの夜の部、同じ役者、同じ演目でも、もう少し違った配役に工夫できなかったものか。考えうる限りで一番つまらない配役になっているのは、ある意味奇跡に近い。