2月歌舞伎座夜の部

kenboutei2006-02-11

『石切梶原』幸四郎の梶原。全体的に、爽やかさが足りない。刀の目利きの時の形も、きっぱりと決めてくれないので、観ていて気持ち良くならない。刀の柄に下げ緒を巻き付けるのは、吉右衛門型だそうだが、自分は今回初めて観たような気がする。手水鉢を後ろ向きで切るやり方を含めて、吉右衛門型はどちらかというと写実に向かうので、個人的には羽左衛門型の方が好きだ、ということが、今回の幸四郎を観て、ようやく気がついた次第。幸四郎が始終、にっこりと笑顔を見せるのも、不可解。
幕開きが板付きだったのも、ちょっと寂しい。
愛之助の俣野が、顔といい、台詞といい、義太夫狂言らしくて良かった。歌六の六郎太夫も、本役として立派。
『二人道成寺本日の眼目。自分だけでなく、観客のほとんどがそうであったはず。この一幕だけ、館内の熱気が違った。
今日は一等の前方だったので、玉三郎菊之助の美しさを存分に堪能した。
菊之助の出、花道での所作の後、すっぽんから玉三郎登場。菊之助の可憐な小ささに比して、玉三郎は(下からせり上がることによる相乗効果もあろうが)、ものすごく巨大な感じがした。
どちらかというと、顔の表情が単調な菊之助。一方の玉三郎は、長唄の台詞に合わせて、表情豊かに踊る。これは、単に玉三郎独特の表現力ということだけではなく、この「二人道成寺」のコンセプトとしての必然だったのではないかと、今回は思った。
蛇の化身である白拍子花子は、実は玉三郎だけであり、菊之助の方は、玉三郎に操られている、いわば「蛇の化身の化身」なのだと思う。従って、鐘への恨みも玉三郎は激しく深く、菊之助は、やや控え目。一昨年観た時も、この二人の表情の差が気になり、何となく感じていたことではあったが、今日の舞台で、一層その思いが強くなった。
乱拍子のところで、二人が謡を自ら謡うのは、前回はなかったと思う。先々月の「船弁慶」に続く、玉三郎お能趣味の現れか。
二人で踊る場面は、時にエロチック。菊之助を「導く」玉三郎という図式に、穏やかでいられない観客は多いことだろう。
いずれにせよ、必ずや伝説になる、二人のこの舞台を、再びリアルタイムで観ることできた幸福を、今もまだ噛みしめている。
『小判千両』せっかくの菊吉共演なのに、この後味の悪さ。笊屋から金を恵んでもらったことを恥じる浪人を良しとし、その結果、笊屋の人情を否定してしまうのでは、誰も納得しないだろう。先月の「藤十郎の恋」もそうだったが、現代の感覚とは合わない新歌舞伎を今に上演する意味を、もう少し考えてもらいたい。
筋を別にすれば、菊五郎の笊屋が、味わいがあって良かったのだが。