国立『絵本太功記』

kenboutei2005-11-13

いつも眠くなる「絵本太功記」。今回は、通し狂言だったが、やはり「太十」では眠ってしまった。
通し狂言としては、よくまとまっていたと思う。文楽の方では今も度々上演されるているので、それほどの違和感がないということもあるが、何と言っても、山口廣一の脚本によるところが大きい。筋書きによると、既に30年以上も前に書かれて、タイミングが合わず、これまで日の目を見なかったということらしいが、もっと早くに上演されていたらと思う。往年の歌右衛門幸四郎松緑などで一度でも演じられていたら、この通し狂言の価値も違っていたかもしれない。
序幕「二条城」は「忠臣蔵」の大序風に、人形身で始まる。定式幕が開いた時、一番下手にターバンを巻いた印度人の従者が現れたので、ちょっと驚いた。(つい昨日観た映画『ランド・オブ・プレンティ』のターバン男を思い出してしまった。)
橋之助初役の光秀は、最初は平凡に見えたが、額を割られてからは良かった。ただ、最後の引っ込みで、ニヤリと笑う思い入れは、不可解だった。我當の春長は、やけに活歴じみていたが、昔の写真を観ても、そんな感じのようだ。
「本能寺」は、山口脚本によれば、写実的な立廻りとしていたそうだが、ここは歌舞伎様式に改めて正解だったと思う。孝太郎の森蘭丸が、むきみの隈で奮闘。
二幕目「妙心寺」。吉之丞の皐月は力不足。年老いているだけで、逆賊となった光秀を諌める手強さがない。これは、「尼ヶ崎閑居」でも同じ。橋之助の光秀は、なかなか良かったが、もう少し書道はうまい方が良い。
三幕目「瓜献上」で、ようやく芝翫の久吉が登場。この場自体は大したことはないが、芝翫の久吉の大きさに感心。
大詰は、「尼ヶ崎閑居」だが、冒頭に書いた通り、どうしても眠ってしまう。特に、前半光秀が出る前までが、つらい。魁春の十次郎は、面白い配役だが、今日は裃の着付けが何だかおかしくて、七五三の子供のような感じだった。東蔵の操は丁寧な良い演技だったが、いかんせん、ニンにない。孝太郎は平凡すぎる。
そんな中、光秀と久吉だけが本役。特に橋之助は、隈取りの映える顔つきといい、口跡といい、立派な光秀だった。
それにしてもこの芝居、役者が足りないのが致命的。もっと良い配役でやってくれたら、平凡に思えた場も、見応えが出てきただろうに。国立劇場の限界かな。