海老蔵襲名・初日

kenboutei2004-05-01

海老蔵襲名の歌舞伎座初日へ。30分前に到着したが、既にすごい人混みになっていた。テレビカメラも多い。
昼の部の『暫』。前列の花道前だったので、新海老蔵の鎌倉権五郎を見上げるように間近で観ることができた。しかし、あまりに近すぎたので、ツラネの場面では、巨大な素襖が邪魔になって、海老蔵の顔がほとんど見えなかった。もう少し低い位置で素襖を構えてくれたらよかったのだが。ツラネ自体は、まずまず。茶後見が段四郎だったそうだが、全く気がつかなかった。花道から舞台中央へ向かう動きは、まだぎこちなかった。あの衣装にまだなじんでいない模様。回を重ねるうちに良くなると思うが。元禄見得は團十郎同様、腰高になってはいるが、その顔の立派さは特筆もの。ちょうど一年前に父團十郎が暫を演じた時、評論家の渡辺保氏がある講演で、「團十郎隈取りの顔の素晴らしさは今だけのものかもしれない」と絶賛していて、おおいに同感したものだったが、海老蔵の顔も、あの昨年の團十郎に既に匹敵している。特に横顔は、鼻の高さもあり、父親以上、いや、数多ある錦絵以上に美しいものであったと感じた。衣装の引き抜きに時間がかかったり、時蔵との掛け合いに合わなかったりと、初日らしいもたつき感もあったが、海老蔵自身の完成度は非常に高く、襲名初日でこの出来栄えには驚かされる。最後の引っ込み「やっとことっちゃ、うんとこな」では、團十郎の持つユーモラス感とは異質の、一種の狂気を宿した眼光で引っ込んで行った。これぞ荒事役者と感じ入った次第。終演後の観客の嘆息には、こんな言葉はないが、「後ジワ」が来たと思った。歴史に残る感動の舞台。
初日とあって、大向こうも気合いが入る。舞台近くの席では、「成田屋っ!」の声がまさに「ふりかかって」くる感じ。伊勢音頭では、團十郎海老蔵二人の場面で「親子円満!」の声がかかって笑いを誘っていた。山川静夫が掛けたのだろうか。

引き続き夜の部。一旦外へ出て、弁当などを買ってから再入場しようとしたら、警察の交通規制でなかなか進めなかった。小泉総理大臣が来たとのこと。前列3列目で楽しそうだった。同じ列には米倉涼子もいて、昼の部以上に華やかであった。ちなみに、他に見かけた有名人は、村松友視(昼も夜も)、利根川裕(夜)、小山観翁(夜)、鶴田真由(夜)など。もちろん、富士純子も。舞妓さんも来ており、なんだか正月のような気分であった。
「口上」。雀右衛門が体調不良のため、他の舞台は休演し、この口上のみの出演。心配していたのだが、見た目は元気そうだった。しかし、驚いたことに、プロンプターがついていた。プロンプのつく口上は初めて。雀右衛門、やっぱり大丈夫か。他の舞台の休演も、単に身体だけの問題ではないのだろう。
最後まで終えられるか緊張して見守った雀右衛門が終わり、次は菊五郎。ようやく「自前」の口上となり、ひと安心。以下、印象に残るコメント。

  • 菊五郎海老蔵は闊達。自分も「エビさま」と呼ばれることがある。血液型がAB型だから。
  • 三津五郎:死んだ両親が最後に大笑いしたのが、海老蔵のある行動。しかしその行動はここでは言えない。
  • 田之助:十一代目團十郎田之助襲名を薦めてくれたのが思い出。
  • 菊之助:子供の時から一緒。お互い「○○(本名)」で呼び合っていた。
  • 魁春海老蔵とは夜もお世話になった。
  • 梅玉菊之助海老蔵と自分の娘が同い年。

など。全体に笑いは少なく、シンプルな口上で、これはこれで好ましい。左團次なども平凡だった。
最後に、「にらみ」。自分にとっては初めての経験。席をできるだけ前にしたのも、海老蔵に睨まれたかったから。「にらみ」は全員の口上が終わり、雀右衛門の「すみからすみまでずずーいと」も終わってから、團十郎の紹介で始まる。男寅が三方を持って来て、巻き紙と刀を海老蔵に手渡す。周囲の役者は少しだけ海老蔵の方に身体を寄せる。海老蔵が「吉例により睨んでごらんにいれまする。」で、あのやぶにらみ。直接目が合うことはなかったが、海老蔵の目のエネルギーを感じ、じーんときたところで、幕となった。
午後の部は、結局口上のにらみが一番。『勧進帳』は平凡。團十郎が風邪で鼻水が出ていた。動きも鈍く、踊りにキレがなかったのが残念。しかし、息子の襲名を成功させようという気迫は十分だった。
『魚屋宗五郎」、三津五郎、うまい。酔ってからの「妹を何故殺した」の台詞に凄みと切なさがあった。松助の親父の「飲んでるよ」の台詞がおかしかった。

とにかく、良い一日であった。これでゴールデンウィークは終わりでも良い。