11月国立『国性爺』通し

kenboutei2010-11-07

国性爺合戦』を歌舞伎で観るのは、平成15年4月の歌舞伎座以来。その時は「平戸海岸」「千里ヶ竹」「楼門」「甘輝館」「紅流し」「元の甘輝館』という構成で、今回は、序幕に「大明御殿」がついて、通し狂言と銘打っての上演。
しかし、「大明御殿」は、義太夫味のない、安易なスーパー歌舞伎風創作で、これを付け足すだけで「通し狂言」と言い切っていいものかどうか、大いに戸惑う。
話の発端となる明の崩壊を描いたこの序幕では、家橘の皇帝がなかなか奮闘していた。翫雀、右之助の将軍役は共にニンにない。韃靼の使者の松江は、三枚目風キャラだったが、もっとシリアスでも良かったのではないか。
梅と桜の花争いの場面もあったが、京劇風に「アイヤー!」とか叫びながら立ち回る。こういうところが、安易と感じる。
「平戸海岸」も、前に観た時とは違う演出。最後に團十郎が『毛剃』の汐見の見得となって幕となる、驚きの演出。團十郎のアイデア国立劇場のスタッフの考えかは知らないが、同じ近松だからといっても、これには呆れる。本当にこれからはこの演出で、「通し狂言」と言い張るのだろうか。
團十郎の和藤内は、蛤と鴫の争いで兵法を悟る場面で、何を言っているのかさっぱりわからない程、台詞が酷かったのだが、この最後の演出で、そんなことも気にならなくなっていた。
「楼門」になって、ようやく落ち着くが、ここも義太夫味のある藤十郎の錦祥女のみ面白く、左團次の老一官、東蔵の渚も、ただ門前で突っ立ているだけでつまらなかった。
「紅流し」では、肝心のその場面で、藤十郎は血潮の赤布を手摺の内側の方に落としてしばらく気がつかず、一向に川に血が流れてこないというハプニング。
甘輝は梅玉。風貌はなかなか立派だが、顎髭を掴んでの関羽の見得などはきっぱりと決まらず、物足りない。
左團次はほとんど芝居らしいことをせず、東蔵は怒鳴り過ぎ。
・・・とまあ、役者の魅力や芝居としての面白さからは程遠いが、派手な衣装や舞台装置などは、それなりに楽しめる、コンパクトで現代的な「通し狂言」。(とても17ヶ月のロングランとなった作品とは思えなくなっているが。)
 
今日は自転車。行きは夥しい皇居ランナー、帰りは銀座周辺の右翼の街宣車と左翼のデモにぶつかり、とても往生した。