八月新橋演舞場 第一部初日 海老蔵の「狐忠信篇」

kenboutei2010-08-07

八月の演舞場は、花形歌舞伎で、歌舞伎座での納涼歌舞伎と同様、三部制。
今日が初日で、行ってみるとカメラスタッフが結構いる。中へ入ると、ちょうど海老蔵夫人となった小林麻央が、義母の團十郎夫人と一緒にロビーに出てきたところで、観客とテレビカメラがわっと群がり出した。ちょっと異様な風景であったが、鮮やかな青色の着物姿で、ニコニコと挨拶している小林麻央は、さすがに可愛かったな。
今日はその後所用があったので、第一部だけ観る。
海老蔵忠信による、『千本桜』の半通し、狐忠信篇。角書に「訪欧凱旋公演」とあるように、先般、海老蔵一座が持って行ったロンドン・ローマでの公演内容がベースとなっており、「鳥居前」から「吉野山」への幕間がないなど、短時間・コンパクトな演出設計となっている。外国人向けであることは、同時に歌舞伎初心者の若者向けでもあるということなのだろう。
『鳥居前』今日は、舞台近くで観ていたのだが、海老蔵の忠信の、火炎隈の眉毛の描き方が、一本線ではなく、破線となっていることに、気がついた。何だか違和感を感じつつ、帰宅後確認すると、海老蔵前の歌舞伎座の時も同じ描き方であった。また、他の役者のも観てみると、役者によってそれぞれ異なっており、眉毛一本の形にしても、案外バラバラであった。例えば『暫』の鎌倉権五郎のように、眉毛については、みんな力強い一本線だと思い込んでいたのだが、この火炎隈はそうでもないらしい。今度からはもっと気をつけて観るようにしよう。
で、海老蔵の忠信だが、この場では、荒事の魅力が横溢。花道七三で、猿弥の藤太と並んで見得を切る時や、最後の引っ込みなどは、見事な迫力で、圧倒される。ただその一方で、相変わらず顔の表情を作り過ぎる。顔の表情を動かすことで、せっかくの立派な隈取りの美が損なわれてしまう。
義経勘太郎、静は七之助。この場はさしたることもなし。
猿弥の藤太が、台詞廻しも明快で、うまいものだと感心。
吉野山暗転するも幕なしで、そのまま『吉野山』に突入。裏方も役者もさぞ大変だろう。
七之助の静の花道の出が素敵。少し顔を俯かせながら歩く姿に、気品が漂う。七三での所作もゆったりと美しく、しばし見とれた。
海老蔵の忠信とのバランスも良い。
外人向けのダイジェスト版(?)らしく、テンポ良く進むが、その分、踊りの妙味というか、「まだ終わらないのか」と思わせる程のまったり感、たっぷり感がないのは寂しい。清元の詞章もいつもと違っていたようで、女雛男雛のところは、「♬蛤、蛤、貝合わせ〜」みたいなことを言っていて、忠信と静の動作とその詞章がどう合っているのか、よくわからなかったが、こういう演じ方は、これまでもあったのだろうか。
まあとにかく、よくわからないけど二人が綺麗、という、初心者の外人なみの感想。
『四の切』これもダイジェストなのは結構だが、それならいっそのこと川連法眼と妻飛鳥など、出さない方が良い。埃鎮めみたいな台詞しか与えられない家橘と右之助が、気の毒に思えた。
海老蔵の忠信、狐になってからの台詞は相変わらず。最初はまだ息を吸い込みながら喋る狐話法を意識していたが、鼓をもらってからは、もうメロメロ。狐話法というより、オカマ話法。体力を消費し、息も絶え絶えの中で、台詞に集中力がなくなって脱力的な言い回しになっている。それだけ、ケレンのある「四の切」は大変ということで、思えば猿之助は凄かったんだなあと、改めて思った。
この場で良いのは、勘太郎義経七之助の静。共に行儀良い演技で気持ち良い。何しろ、この二人、恋人同士であることが良くわかる。狐忠信が宙乗りで飛んで行った後を見送る二人のツー・ショットが、何とも素敵であった。海老蔵の「宙乗り狐六法」(そんな六法があったのか?)を首を伸ばして観るより、この二人で幕切れを楽しむ方が良いと思う。