六月歌舞伎座 昼夜

kenboutei2009-06-21

昼の部
草摺引』松緑の五郎、魁春舞鶴松緑がとても良い。身体全体に、荒事の力強さが漲る。ぴんと直立した状態から、上半身をちょっとくねらせるように動かしながら大きく見得をする、その身体の流れが良い。隈取りも映える。今までは、顔の小ささ・丸さが歌舞伎役者らしくないと思っていたのだが、今日の五郎は、そんなことを微塵も感じさせない、立派な歌舞伎顔だった。身体とのバランスも申し分なし。急に顔が大きくなるわけでもないので、これは身体の使い方などを工夫していることで、そう思わせるのだと思う。
魁春は、台詞廻しが耳障り。「おー、こわっ」という台詞を二回言うのだが、二回とも、聞いてるこっちが怖くなった。
角力場』幸四郎の濡髪、吉右衛門の放駒。吉右衛門は、前髪姿で頬に紅をさし、ちょこまかとした動きに甲の声で、放駒の若々しさを見事に表現していた。柄からいうと濡髪なのに、どこから見ても放駒。ぐっと下からせり上げるような姿勢での形も立派。
対する幸四郎の濡髪も、立派な大きさではあったが、どこか沈んだ雰囲気で、とても暗い印象。
せっかくの兄弟競演なのに、あまり盛り上がらない。
染五郎の与五郎は、まだ硬い。
芝雀の吾妻。後ろに吉之丞、歌江を従えて花道を引っ込む。
『蝶の道行』梅玉福助。ほぼ熟睡。背景の菊や百合、牡丹の絵が、何だか軽い。
女殺油地獄仁左衛門一世一代の河内屋与兵衛。二幕目の「河内屋内」が特に良かった。さんざん暴れて家を出て行く時に、閉めた障子を外側から破るのにはびっくりしたが、その直情的な行為に、仁左衛門が与兵衛その人になっていることを実感した。無軌道でやんちゃだが、根は決して悪くなく、親も最後は見捨てられないだけの愛らしさを内包している与兵衛という人物像を、仁左衛門は完璧に体現している。殺しの場などなくても充分満足できる。一世一代の銘に恥じない舞台であった。
秀太郎が母親役だったのは、意外であったが、なかなか良かった。逆にもう一役の芸者小菊の方がちょっとくたびれていた。
歌六の父親徳兵衛、梅玉の豊嶋屋七左衛門。
孝太郎のお吉が、仁左衛門に伍してみえたのは、仁左衛門の若々しさのおかげもあるだろう。

 

夜の部
『連獅子・口上』染五郎の子、齋の金太郎襲名だが、主役は幸四郎。4歳の孫の初舞台襲名で、吉右衛門梅玉魁春福助芝雀松緑を同座させるだけでなく、口上まで設けてお祝いを言わせる。多分、この事実が大事なのだろう。
金太郎の「孫獅子」は、けなげに毛を振る。二回ほど身体に巻き付いて難儀していたが、後見の白髪まじりの老人がサポート。誰かと思えば、錦吾であった。
何ともおめでたい高麗屋ファミリーだが、それを見てつい微笑んでしまう自分自身も、おめでたいのだろうな。

 


『幡随長兵衛』吉右衛門の長兵衛。平成18年2月にも吉右衛門で観ているのだが、ほとんど記憶がない。(「見応えあり」と感想を残しているけど・・・)
しかし、今日の吉右衛門は、本当に見応えがあった。
序幕で客席から出て来る時、左右の客に「どうも」と頭を下げながら舞台に上がる。ちょっと愛嬌を出しているところが良い。
出色は二幕目の「長兵衛内」で、ここで一人になって、自ら水野邸へ行く心境を語るのだが、黙阿弥の台詞を上手く消化して耳に聞きやすく、そのことにより、その思いが観ている者の胸に届いてきて、なるほど、長兵衛は水野邸に(死にに)行かなければならないのだなと、納得させられた。
この場は、芝翫の女房も立派で、この二人の存在感は、なかなか見物であった。
仁左衛門の水野は、それほどでもなかった。「水野邸」では、東蔵の近藤が良かった。
歌六の出尻清兵衛は、分別さが先に出ていて、面白くない。
梅玉の唐犬。
村山座の劇中劇、児太郎の台詞が子供とはいえ、とても聞いていられない。端役なのに親父が一緒に出ていた理由がわかった。
(・・・と、色々書いても、また忘れるんじゃあ、説得力がないよな。)

 

『髪結新三』幸四郎の新三。これは、前回の初役時のをまだ覚えている。(忘れたいが忘れられない。)
そして、初役の時より更にひどくなった感じ。
弥太五郎源七が歌六となって、前の段四郎よりスケールダウン、結果として幸四郎の新三の方が、源七よりも立派な親分にしか見えなかった。(まあ、これはそもそも幸四郎の方により責任はあるのだが。)
弥十郎の大家も、前回よりも人の良さそうな感じになっていて、面白くなかった。
大詰めの大家と新三の睨み合いは、新三が両手の拳を握ってボクシングスタイルになるのが、とても不格好。(今月の筋書に入った写真でも同じなので、これが幸四郎の型ということか。)
新三の腕の刺青も、二の腕ではなく、手首に近い部位に入れているのは、何故なのだろう。
とにかく、実家に連れ戻されるお熊を見送る新三の姿に、色気がないようでは、この役には向いていない。
成果に乏しい舞台であったが、家橘の白子屋後家が、没落した家でおろおろしていて頼りない(それでいて鷹揚な)未亡人の雰囲気を良く出していた。萬次郎の大家女房も面白かった。
染五郎の勝奴は颯爽としていて良い。将来の新三を期待させるが、親父に教わるのだと思うと、ちょっとブルーになる。
「新三内」が終わると、「閻魔堂橋」を待たずに一階の客がどっと帰りだした。松竹の案内係が、まだ続きがあると説明して、大方の客は戻っていたが、こんなことは初めての経験。午後九時を過ぎていたこともあろうが、「さよなら歌舞伎座」公演は、「髪結新三」を一度も観たことのない、新規の客も多いということなんだなあ。(黙阿弥の芝居を二つ続けて出されて、もう結構、ということかもしれないが。)