三月歌舞伎座『元禄忠臣蔵』通し

kenboutei2009-03-15

とっても苦手な『元禄忠臣蔵』。この前、国立で出たばかりなのに。
ということで(?)、昼の部の「江戸城の刃傷」と「最後の大評定」は、ほとんど寝ていた。最後の「御浜御殿」だけ、まともに観ることができた。やはり仁左衛門の綱豊卿だけは、退屈しない。しかし、富十郎の勘解由以外は、一昨年9月の歌舞伎座と全く同じ配役で、何の工夫もない。富十郎の勘解由は、台詞もまだ覚束なく、精彩を欠く。幕開きの、子供の手古舞と仁左衛門のやりとりが面白かった。
続いて夜の部。
「南部坂雪の別れ」は、團十郎大石内蔵助。ちょっと深刻すぎ、余裕がない感じ。芝翫瑤泉院。羽倉斎宮我當は、足弱になっていたのが気の毒。(昼の部の田村右京もそうだった。)
「仙石屋敷」の内蔵助は、仁左衛門。ここは平凡。梅玉の仙石が案外良い。弥十郎吉田忠左衛門が奮闘。
「大石最後の一日」、幸四郎の内蔵助。それが松竹の売りとはいえ、幕毎に内蔵助役者が変わるのは、観ていて落ち着かない。特に「仙石」から「最後の一日」の幕間は15分、両場とも討入り後の話であるだけに、内蔵助が突然仁左衛門から幸四郎に変わってしまった戸惑いを隠しきれなかった。
幸四郎の内蔵助は、これも前の国立で観ており、新鮮味はなかったが、昼の部の「大評定」での内蔵助よりは、さすがに良かった。(いや、昼の部はほとんど寝てたんだけどね。昼の部の幸四郎は、声の張りとか、弱々しい印象だった、と思う。)
福助のおみのは、女とバレてからの仕種が大袈裟過ぎて、個人的には興をそぐのだが、幸四郎との親和性があって、物語としては、伝わってくるものがあった。新歌舞伎といえども、歌舞伎芝居としての様式性があってしかるべきだと思うのだが、幸四郎福助(それに染五郎の磯貝を加えても良い)の演技は、それとは別の次元の演劇として、立派に成立している。新新歌舞伎とでも称すべきか。