三月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2008-03-09

『鈴ヶ森』芝翫の白井権八富十郎の幡随院長兵衛。役者の佇まいや風情だけで観せる芝居だけに、この二人の配役は申し分ない。
花道から駕篭に乗せられて出て来る芝翫は、せまい駕篭の中で、顔の大きさが一際目立ち、まるで異様な生き物のようであったが、その怪異さが、歌舞伎そのものだと思う。また、本来女形であるが、刀さばきが非常に美しい。これは、昨年の戸無瀬でも感じたことである。
富十郎の方は、台詞廻しが、さらさらとしている。声量もあり分かりやすいのだが、音楽的官能にはやや乏しい。
正月に続く、芝翫富十郎コンビ、今後も続けてほしい。(今度はこってりした踊りが観たい。)
段四郎の飛脚が、元気で良い。病気から回復して、これだけ若く見えたのは初めて。
道成寺山城屋藤十郎喜寿記念。昼の部の小次郎を観て、さぞ素晴らしい花子だろうと思っていたのだが、期待に違わぬものであった。
筋書によると、藤十郎道成寺は、歌舞伎座では初めてらしい。扇雀鴈治郎時代にもなかったというのは、ちょっと驚きでもあり、本来は、團十郎藤十郎歌舞伎座初共演以上に、大きな話題となるべきものであろう。まして、喜寿でこの大曲を、押し戻しまでつけて踊り切るなどということは、それだけで驚愕すべきことだ。こんな貴重な舞台を観られて幸せであった。
藤十郎の花子の良さは、まずそのぽっちゃりとした体形にあると思った。藤十郎が若く見えるのは、ふくよかな顔、特にその頬の膨らみと艶によるものであり、そして、適度に肥満した体を、普通に動かすだけでも、見た目から想像する重々しさとは異なる動きのせいで、かえって身軽な印象を与え、より若々しく感じさせているのだと思う。
と同時に、その動きがしっかりしたものであり、まるで迷いやブレがないことから、そこに老いを全く感じさせないのである。
舞台でくるりと一回転する時、身体の芯が真っ直ぐのまま、足下の裾がふわっと広がり、また元に戻る優雅さは、それは見事なものである。藤十郎の花子は、意外なことに(?)、清楚で、品が良く、そして、可愛い。藤十郎のこれまでの芸の印象から、ぽってりと濃厚な、セピア色の古めかしいものを予想していたのだが、それとはおよそ反対のものであり、これまで観てきた、他のどの花子とも異なる、唯一独特のものであった。自分はこの花子が好きだ。
鐘入り後の蛇体は、隈取りも含めてあっさりとしていたが、これはこれで良いと思った。
團十郎が押し戻しで、藤十郎喜寿に花を添える。二人が揃うと、さすがに絵になる。(しかし、実を言うと、今月の座組なら、是非富十郎にやってもらいたかったなあ。)
虎之介の舞い尽くしが、しっかりしていて感心。

『お祭佐七』多分初見。序幕はそれほどでもないが、大喜利の一場、二場が面白い。
佐七と小糸の夫婦きどりのやりとりが、菊五郎時蔵の互角の芝居により、観ていて飽きなかった。時蔵がここまで菊五郎と対等に渡り合ったのを、初めて観るような気がする。この時蔵の小糸が良かったので、菊五郎の佐七の、小糸に対する愛情と疑心暗鬼に説得力が出た。柳橋に帰った小糸の家に、佐七が行こうか戻ろうか迷う場面は、さながら「冥途の飛脚」の江戸版である。
脇を固める團蔵亀蔵らも手堅い。家橘が阿漕な養母で奮闘。もう少し滑稽味があればなお良かった。
仁左衛門が鳶頭の親分役。「髪結新三」の弥太五郎源七のような役だが、案外出番が少ない。
大喜利第三場は、佐七が小糸を殺した後に、書置きを読む流れが、筋立てとして不自然に感じた。
祭りの余興で、道行を踊るお軽役に、芝のぶ。いつか本興行の本役で観る日を夢想する。