正月歌舞伎座・昼の部

kenboutei2007-01-07

今年最初の歌舞伎観劇。
『松竹梅』正月用の慶事舞踊。30分ちょうどにまとめている。どうということはないが、歌舞伎座で賑やかな踊りをただぼーっと眺めているだけでも、何だか幸せな気分になるものだ。梅玉橋之助魁春芝雀他。
俊寛とても良い俊寛であった。これまで観てきた中でも、今日の舞台は傑作の部類に入る。
吉右衛門俊寛、下手岩陰から出てきた時の、肩の落とし具合に、島流しにされた孤独とやる瀬なさが表れていた。そして、成経と康頼が訪ねてきた時のうれしさ。何故しばらく音信がなかったのかと問うあたりにも、俊寛の寂しさと人恋しさが出ていて、吉右衛門俊寛像というものがどういものか、よくわかった。
今日の舞台が良かったのは、この島流しにあった3人の結束力がうまく表現されていたからだと思う。東蔵の成経、歌昇の康頼、共に吉右衛門とのバランスが良かった。
ただ、惜しむらくは、福助の千鳥が、このバランスを若干崩していたことだろう。色気が勝り、きゃぴきゃぴし過ぎる。廓の女や世話物の娘に見える時もあった。今月の座組では、魁春芝雀、孝太郎あたりの配役の方が合っていたと思う。
段四郎が手堅く、そして初役の富十郎の丹左衛門が実に見事な捌き役。とても初役とは思えなかった。
最後の俊寛の別れ。岩の上での空ろな視線は、最初の俊寛の出と同じ孤独とやる瀬なさに再び通じ、さらに今度はそれ以上の深い、暗い空虚な孤独感を伝えており、感動的な終わり方である。(少し肩で息をする演出だったが、個人的にはそれは余計だったと思う。)
勧進帳幸四郎の弁慶、梅玉の富樫、芝翫義経

幸四郎芝翫ということで、随分心理的な芝居になるのかなとも思ったが、意外とさらさらとしていて、何と言うか、「乾いた舞台」であった。
幸四郎の弁慶には、いつもある種独善的雰囲気を感じ、他の役者との関係が見えにくかったのだが、今回は、芝翫義経に力強さがあり、この義経であれば、さすがの幸四郎弁慶でも、主従の関係が鮮明となり、幸四郎だけが目立つということはなかった。また、梅玉の富樫も幸四郎に充分伍しうるものとなっていたと感じたのも、もしかしたら芝翫効果だったのかもしれない。
とはいえ、昼食後のせいか、何カ所かうとうとし、それほど面白味は感じなかったというのが、正直な感想。
各々の語り口調が、いつもより幾分能掛かっていたのは、あえてそういう演出にしたのだろうか。
『喜撰』勘三郎玉三郎の楽しい舞踊。勘三郎は、あまり観客をそそらず、神妙に踊るが、自ずと愛嬌が滲み出て沸かせる。維盛じゃないが、「愛想のないが愛想となり」。
玉三郎は、若々しい。柳腰が春信の錦絵の如し。
最後の大勢での踊りは、やや退屈。(玉三郎もいなくなってるし。)
 
年末年始と何だかボケボケで、気力もない日々を送っていたのだが、歌舞伎座で歌舞伎を観たことで、何だかいつものリズムを取り戻し、少し生気が出てきた感じがする。
やっぱり歌舞伎はいいな。