『雪夫人絵図』

kenboutei2006-08-27

昨日、アマゾンから届いたので、さっそく鑑賞。先日のシンポジウムでは、山根貞男がおすすめの一本として挙げていた、「愛欲映画の巨匠の作品」。(ちなみに、蓮實先生の一本は、「『残菊物語』、泣けます。」とのこと。)
敗戦後、資産を切り売りしながら生きざるを得ない、没落する旧華族の夫人に小暮実千代。この「雪夫人」の婿に、新派の柳永二郎。どんなに婿の放蕩と理不尽な扱いがあっても、肉体的には離れられず、それ故、小暮実千代は、日々苦悩し、けだるく身悶えている。精神的には、上原謙の琴の先生と結ばれていようと、愛欲と貞節のはざまで、何の解決もできずに、山村總ら目端のきく者たちから財産を奪われ、追いつめられていくのを、現代の観客は半ば呆れながら見守るしかない。
奉公人の久我美子に、「雪奥様の、いくじなし!」と言われるのもむべなるかな。(しかし、この物語に、華族出身の久我美子を奉公人としてキャスティングするのは、今なら冗談としか受け止められないのだが、当時はそうでもなかったのかな。)
舟橋聖一の原作が話題になっていたという時代背景をきちんと理解していないと、なかなか共感できない部分もあるが(柳永二郎の描かれ方も中途半端だ)、まあ、力なく腕をぶらりとさせ、しどけなく立ち尽くす、小暮実千代の脳惑的な着物姿を堪能するのが、正しい見方なのだろう。
ラスト、芦ノ湖畔に漂う白い霧の美しさと冷んやりとした空気に、この作品の結末を納得させる溝口監督の演出力を感じた。
小暮実千代は、当時32歳だったそう。もっと年上の大人に見えるのは、その色気の濃厚さもあるが、今の我々が幼稚化しているせいかもしれない。
それにしても、シンポジウムで若尾文子が紹介していた、「女優は演技する必要はない。官能的であればよい。小暮君を見よ。」という溝口健二の言葉は、この一本で全て理解できる。

序盤に、思いがけない久我美子の入浴シーンが観られるのも、さすが新東宝作品。