團十郎復帰の歌舞伎座昼の部・初日

kenboutei2006-05-01

いよいよ團十郎が復帰するということで、気合いを入れて初日の歌舞伎座へ赴く。
『江戸の夕映』菊五郎劇団新世代による舞台。もちろん、自分は11代目團十郎・2代目松緑梅幸、さらにはその息子たちによる芝居を観ているわけではないが、代々引き継がれてきたこの劇団の歴史のようなものを、観ながらずっと感じていた。
いわば第3世代(こんな言い方も前進座の影響である)の当代海老蔵松緑菊之助は、まだまだ未完成ながらも、懸命に勤めており、その姿勢にまず共感を覚えた。
序幕で、松緑海老蔵らが維新後の世の中の様子を語るのだが、ここはまるで現実味がない。松緑海老蔵も、れっきとした今時の若者で、こういう近代日本の歴史自体をあまり知らないだろうという、こちらの先入観があるからなのかもしれないが、官軍がどうの、箱館がどうの、と議論する姿にリアリティを感じられなかった。香取慎吾が主演した大河ドラマ新選組!』を初めて観た時の気分に似ている。(その後、だんだん慣れていったのだが)
海老蔵の小六は、前半の幕臣として箱館へ向かおうとする一途な姿と、後半、敗れて帰京し、蕎麦屋で一人酒をあおる姿の落差が大きい。後半の方は、少し凄みを効かせすぎるきらいもあったが、酒を飲む俯いた顔の輪郭が、本当に十一代目にそっくりであることに、今更ながら驚いた。この一幕、ずーっと海老蔵だけを観ていても、飽きることはない。
松緑の大吉は、相変わらず台詞廻しが闊達にいかないのが難。この役の台詞を聞くにつれ、祖父松緑の舞台が観たかったという思いがつのる。と同時に、この芝居を長十郎の小六、翫右衛門の大吉で観られたならなどとも夢想してしまった。(またしても前進座の影響だ)
菊之助のおりきは、案外仕どころが少ない。出てきただけで踊りの師匠の粋を感じさせるところまでには、まだまだ行かないが、まあ無難に勤めていた。
松也のお登勢が好演。右近の船宿の娘は、いくらなんでも無理すぎる。
最近特に贔屓の亀三郎は、序幕で海老蔵と敵対する官軍で、素敵なのだが、すぐに殺されてしまった。
二幕目の碁会所の場、旗本の妻役の家橘に、古風な雰囲気が出てきて、意外と良かった。
終幕の、海老蔵と松也の再会、松緑菊之助夫婦のおかしみある台詞、大佛次郎はさすがにうまい。松緑の持つ、人の良さ、朴訥とした感じが、この場では活きた。
まだ戯曲の完成度に役者の身の丈はついていっていないが、今後も、この新世代で上演を重ねてほしい、清々しい好芝居であった。
『雷船頭』前に猿之助で観ているが、あんまり印象に残っていない。松緑は、着物の裾からちらりと見える、太腿の入墨が色っぽい。右近の雷(というか、「雷様」)。
外郎売いよいよ今日眼目の一幕。花道外には、テレビ局のカメラも数台入ってきた。こちらも何となく落ち着かない。幕が開き、菊五郎の工藤、三津五郎の朝比奈らの台詞も上の空。
揚幕内から、「小田原名物、ういろう〜」の声。その声が聞こえただけで、拍手が起こった。役者がまだ出てこないで、声だけで拍手が起こったのは、初めて経験することだ。自分も揚幕すぐ横で聞いていたので、團十郎の復帰第一声を間近にし、気分は更に高揚。
チャリンという揚幕の音、どん、どん、と足を踏み鳴らし、扇子で顔を隠しながら(といっても、真横からはよくその顔が見えた)、團十郎が登場。会場の拍手は更に大きくなった。
この拍手の音が、何ともいえず、暖かい。
これまで、大きな襲名や、熱気溢れる舞台での大拍手は何度も聞いてきているが、今日のこの拍手、会場が本当に一つになって、成田屋の復帰を祝っている。観客一人一人の拍手が、直に響いてくる。「割れんばかりの」拍手ではなく、「割れない、包み込むような」拍手。同じ拍手でも、こんなにも音色が違うものかと、そのことに感動した。
名前を聞かれ、正体を隠しているため口淀み、思わず「十二代目、市川團十郎」と名乗る。当然のように拍手は大きくなる。大病を患った後の復帰舞台では、よく『お祭り』が選ばれるので、今回、團十郎が『外郎売』で復帰すると聞いた時は、少し不思議に思ったのだが、なるほど、復帰に相応しい演目であると納得した。
舞台中央に来てから、口上となる。工藤役の菊五郎と二人で、復帰の挨拶。これも歌舞伎ならではの演出である。「江戸の役者は江戸っ子のもの」といったような、役者と観客との幸福な関係が、江戸の昔から延々と続いていることが実感できる。そして、その空間に立ち会うことのできた幸福を噛みしめている。(もっとも、自分は江戸っ子ではなく、蝦夷っ子だが)
お馴染みの早口言葉は無難にこなしていたが、そんなことはどうでもいい。舞台に團十郎が立っている。それだけで充分である。多分、今日の観客は皆同じ気持ちだろう。
とはいえ、立っているだけでも、その芸容の大きいことといったらないのである。「大成田」の声もかかった。(自分が聞くのは、国立での「千本桜」以来かな) 
歌右衛門亡き後の歌舞伎を代表する役者は誰かと問われると、たぶん、公式(?)には、人間国宝である芝翫雀右衛門富十郎藤十郎などが挙げられていくのだろうが、観客レベルの肌感覚では、まだ人間国宝でもないけれど、間違いなく團十郎なのだと、今日、自分は確信した次第である。それは、単に人気があるというだけではなく、やはりその存在の大きさが、他の役者とは全然違うということなのだろう。今回の休演からの復帰は、團十郎にとっても、一つのターニングポイントになるのではないか。
ついでのようだが、菊五郎の工藤、家橘の化粧坂少将が良かった。(家橘の佇まいが急によくなったと感じるのは自分だけだろうか)
團十郎、今度またパリでも公演するそうだが、あまり無理はしないでほしい。
『権三と助十』菊五郎劇団ならではの、アンサンブルのとれた舞台。どの役者も活き活きしていて楽しい。三津五郎の台詞廻しが、勘三郎のそれとそっくりになっていたのに、ちょっと驚いた。
後半、彦三郎が台詞をトチッた辺りから、笑いを堪えられなくなる雰囲気となり、左團次の大家が台詞をつかえる度に、どこかで役者が吹き出していた。最後にちょっとだけ登場する田之助には、菊五郎が「台詞が少なくて良かったね」というアドリブ。
千秋楽は、さぞハチャメチャになるだろう。
まあ、とにかく、今日は團十郎の復帰を、役者も観客も一緒になって喜べたのが何よりである。(特に、菊五郎劇団の暖かさを実感)
こういう嬉しさがあるから、歌舞伎を観続けて良かったとも思うのである。
幸福な気分は、今も続いている。