四月歌舞伎座・昼

kenboutei2006-04-09

『狐と笛吹き』初めて観る新歌舞伎。死んだ妻そっくりの女性が、実は狐で、契りを結んだ後死んでしまう。「今昔物語」を題材にしたお伽噺。
梅玉は、割とこういう芝居に合っているが、福助は全然合っていない。
福助のともねは、生々し過ぎる女で、それが狐であることが到底納得できない。メルヘンチックな新歌舞伎をリアルな生世話もののようにしている。北條秀司が描こうとしていた世界とは、おそらく別のものになっているのではないだろうか。
もっと清々しい芝居を観たかった。その意味では、魁春のともねでも良かったと思う。
『高尾』雀右衛門。わずか10数分の踊りだが、至福の時間であった。雀右衛門は、ほとんど動きがないのだが、その佇まい、ゆっくりとした手の動き、打掛を着ている時の裾さばき、その打掛が落ちそうになる時の身体の形、等々、全てが美しい。その美しさは、少ない動きの中に表れるからこそ、凝縮され、観ているものの目を釘付けにする。この感覚は、かつて映画の中で(『書かれた顔』だったかな)観た、武原はんの踊りの時にも感じたものだ。
既に何度書いてきたかわからないが、本当に雀右衛門の美しさは奇跡である。
『沓手鳥孤城落月』芝翫淀君は、前に観た時は、気の狂った様子が大げさで食傷気味だったのだが、今回はそれほどひどくはなかった。しかし、やはり淀君役者としての大きさ、貫禄には欠ける。幕切れの決まりは良かったが。
勘太郎の秀頼がすっきりとしている。
関八州繋馬』意外と面白かった。
魁春は、赤姫姿でスッポンから登場。これまでの彼の芝居でスッポンから出る場面など観たことがなかったので、とても新鮮。なかなか雰囲気があった。一方、踊りはぎこちなく、二枚扇を持て余し気味だった。
菊五郎源頼信が極上の出来。その風貌に気品と古風さが備わり、錦絵で観る三代目菊五郎を彷彿とさせた。
終幕で出てくる仁左衛門の良門、これもまた良い。隈取りが映え、大敵というより、主役のような存在感。こちらは錦絵の七代目團十郎のよう。奮闘している魁春の土蜘蛛も霞んでしまった。
狂言風の場で、吉右衛門東蔵梅玉が新玉太郎を披露。玉太郎、なかなか舞台度胸が良い。
松緑が四天王。今月はこの一役だけとは寂しすぎないか。