コクーン『四谷怪談』南番

kenboutei2006-03-26

勘三郎復帰のコクーン歌舞伎東海道四谷怪談は、記念すべきコクーン歌舞伎第1回目の演目だが、当時自分は観ていなかったので、今回がコクーン四谷怪談としては初めての経験となる。(コクーン歌舞伎第2回は「夏祭」で、これも当時は観なかったが、再演の時に観ることができた。今回の四谷怪談で、コクーン歌舞伎の演目には、一通り目を通したことになる。)
勘三郎は、いつも通り、お岩、与茂七、小仏小平の三役。この中では、序幕の与茂七が絶品。幾分痩せたのか、その分、すっきりとした二枚目風になっていた。地獄宿で、ただ座っているでけでも惚れ惚れと見とれてしまった。ビデオや写真で観る守田勘弥や先代左團次をも彷彿させる、江戸の和事味を感じさせるものであった。小山三との絶妙なやり取り、間合いも嬉しい。(引っ込んだ小山三に勘三郎が「変な生き物だ」という台詞には、笑ってしまった。)
直助権兵衛に弥十郎。これはおそらく初役だろう。歌舞伎座で観た時のこの役は三津五郎だったので、イメージが大分違っていたのだが、地獄宿で娼婦を買う件や、人殺しの後、顔を切り刻んで人相をわからなくする残忍な場面などを観ると、決してクールな役ではなく、むしろ今回の弥十郎の方が合っているかもしれないと思った。
橋之助伊右衛門は、もはや手慣れており、安心して観られる。後半の大車輪な活躍は、この芝居の主役といってもいい程であり、伊右衛門については、勘三郎でも一度観てみたいとも思う。
亀蔵の宅悦も初役だと思うが、実に良い味わい。
扇雀のお袖は、意外と丁寧であった。
お梅の七之助は、まだ線が細い。幕間の番頭の方が良かった。
笹野高史の伊藤喜兵衛は、娘を伊右衛門に添わせるために、お岩に薬を飲ませた張本人としての、親バカと悪者ぶりが、自然と出ていてた。二役の伊右衛門母親は、無理があった。
四谷左門役の源左衛門が休演で、勘之丞が代役。そつなくこなす。
南北の「四谷怪談」は、新劇が歌舞伎物を手掛ける時に、最も選ばれる戯曲である。それだけ、現代に通じる面白さがあるということだろう。今日のコクーンでも、全く違和感なく現代の劇場空間にマッチしていた。
特に演出で感心したのは、宅悦内や浪宅などの屋内の横幅をかなり狭く設置し、その中での役者の演技に密閉感を持たせたこと。多分、江戸時代の芝居での役者同士の距離感もこんな感じだったのだろう。こうすることで、小平をリンチする場面や、お岩と宅悦のやりとりなどに迫力と生々しさが出てくる。昨年の歌舞伎座での「法界坊」でも、横長い歌舞伎座の両袖に羅漢台を設けたように、この横幅の狭さが、串田演出では必須の歌舞伎空間なのだと思う。
また、コクーン劇場特有の天井の高さが、幽霊となったお岩が宙に上がって行くのに、効果的であった。
序幕でいきなり現れる、仁王像と、塗り絵のような配色の背景も新鮮。
黒衣にあえて頭巾を被せず、顔を見せていたのも、黒衣の存在に拘り続ける串田和美の、何かの意図なのだろう。
いつものコクーン歌舞伎平成中村座では、芝居前から役者が客席にいたりして、雰囲気を醸成しているのだが、今回は、特にそうした演出はなく、普通に始まったのが、ちょっと寂しかった。(おそらく最初の時もそうだったのだろう。)
その代わりといっては何だが、最後の水入りのチャンバラは大サービス。お馴染みの大量紙吹雪もあった。当然のようにアンコール、スタンディング・オベーション
思うに、コクーン歌舞伎は、もはや「串田歌舞伎」であり、別にコクーン劇場だけでなく、また、平成中村座のような芝居小屋でなくとも、どこでも立派に演じられるスタンダードになってきているのではないか。今回の「四谷怪談」なども、歌舞伎座で上演しても何らおかしくない。(実際、数年前に観た歌舞伎座での勘九郎時代の「四谷怪談」は、串田演出ではなかったが、今日のコクーンに近いものであったと、今にして思う。)
また、勘三郎一座だけでなく、他の役者で演じても十分通じるだけ演出は練られており、そういう機会も是非体験したいと思った。
北番の方も楽しみだ。