玉男のいない文楽公演

kenboutei2005-09-25

千秋楽、通しで観る。吉田玉男は、初日から休演だったそうで。()全く知らなかった。台風の影響で強い向かい風の三宅坂を自転車で上ってきただけに、余計に力が抜けた。
第一部
芦屋道満大内鑑』初めて観る。歌舞伎でお馴染みの「葛の葉子別れ」に至るまでが面白い。安倍保名というのは、ここでは主役でありながら、運気が悪く、恋人に死なれて発狂してしまうという、意外な程のダメキャラ。恋人の妹に会うと簡単に正気に戻ってしまうのも何だかおかしい。狂気の時の人形の頭は若男の「物狂」と呼ばれるもので、それなりの雰囲気があった。保名を玉男の代役で玉女が遣っていたが、出の動きなどは、玉男に似ていると感じた。「葛の葉」の切は綱太夫。悪くはないが、山城少掾のCDにあるような、異世界の匂いが欠けていた。(実は、山城少掾の「葛の葉」は、自分の持っている山城のCDの中では、それほど好きなものではなかったのだが、今日の舞台を観ると、すぐそこで語っている綱太夫ではなく、山城の語りが頭の中で再生されていった。狐が出てくるこの不思議な舞台を見事に表現していたのだと、改めてその凄さを実感した次第。)文雀が狐葛の葉を熱演。実に味わいがあった。

第二部
寺子屋前を住大夫、後を十九大夫。多分、逆の方が良かったと思う。住大夫は、首実検での畳みかける迫力に欠け、十九大夫は、いろは送りの情愛が足りない。人形を含めて、内容の乏しい「寺子屋」だった。(先日、住大夫の平成元年国立劇場での「寺子屋」のCDが届いたが、まだ聴いていなかったので、近いうちに聴いてみよう。)
女殺油地獄歌舞伎では何度か観ているが、文楽では初めて。それにしても、与兵衛は、人形で観ると余計に救いがない。仁左衛門あたりが演じると、少しは憎めないところもあるのだが、文楽ではその隙を与えない。オリジナルは当然文楽なので、近松の意図は、こういうことなのだろう。油まみれの殺人場面は、手摺のところに、油を表した薄板を覆うだけで、後は滑って転ぶなどの人形の動きで表現。実際に人形が油まみれになることはなかった。なるほど。殺しの後の「逮夜の段」は余計かな。
・・・玉男がいないにもかかわらず、満員御礼の国立劇場。これが普通の風景になるのが怖い。