吉右衛門の弁慶

kenboutei2005-09-18

三連休中日。抜けるような快晴だったが、日中はダラダラ。気を取り直して、午後三時過ぎよりチャリで木挽町へ。歌舞伎座夜の部、当日券。既に1階の二等は満席だったので、2階の下手後方席からの観劇となった。
『平家蟹』岡本綺堂作の、壇ノ浦で滅びた平家に仕えた官女の物語。明らかに、NHK大河ドラマ義経』を意識しての上演。しかも、冒頭、スクリーンを使って物語の背景を解説していたが、そのナレーションは、ドラマと同じ白石加代子という念の入れよう。もっとも、毎週欠かさず観ている自分は、松竹の策略にまんまと嵌り、結構楽しめたのだった。
芝翫が、狂気を宿した平家の官女、玉蟲役。玉蟲は、那須の与市が屋島の合戦で射止めた扇を船上で持っていた、という設定。(一方テレビでは、その役をゴマキが演じ、義経の妹という設定だったが、史実はどうなのだろう。)芝翫は、古怪な容貌と動きがこの役に似合っていた。檜扇の紐を鞭のように那須与市の弟役の橋之助に打ち付けるところなどは、リアル過ぎて怖いくらい。
玉蟲の妹、玉琴に魁春。弥平兵衛宗清に左團次。(宗清は、「熊谷陣屋」では弥陀六に身を替えていたが、ここでは旅僧雨月となっていた。こういうお馴染みのキャラクターが別の活躍をするのが、歌舞伎の世界の面白いところだ。一種のスピンオフ作品となっている。)
演出がなかなか愉快。冒頭のスクリーンでの解説の他、玉蟲の家の縁の下からゾロゾロと出てくる平家蟹は、巨大化してタラバガニのようだった。最後に芝翫の玉蟲が身を沈める海は、浪布の下に人が入って大きく揺らし、荒波を表現。入水につれて、水しぶきがかかるなど、芝翫も珍しく意欲的に取り組んでいたようだ。ただ、わかりやすい演出に徹したせいか、岡本綺堂独特の台詞廻しが何もなかったのは、物足りなかった。
テレビとタイアップしたタイムリーな舞台としては楽しめたが、新歌舞伎としての賞味期限はもう過ぎていると思う。玉蟲が芝翫だから何とか観られたという感じでもあった。(死んだ宗十郎でも面白そうだが。あと我慢できるのは玉三郎くらいか。)
勧進帳久しぶりの吉右衛門の弁慶。観客の誰もがこの一幕を一番の楽しみにしていたのだろう。決して入りの良くない歌舞伎座全体が熱気を帯びていた。
吉右衛門は、勧進帳読み上げまでは、全くつまらない。それまでの富十郎福助の台詞の悪さに付き合ったわけでもないのだろうが、モタモタと精彩を欠く。
ところが、山伏問答となって、俄然面白くなる。こんなに雄弁と語る山伏問答は初めてである。台詞の一つ一つがはっきりとわかりやすいばかりでなく、堂々と、朗々と、悠々としていて、観ている方も気持ちがよい。それに呼応して、富十郎も持ち直すが、吉右衛門の弁慶は、富十郎の富樫を圧倒していた。かつて読んだ渡辺保勧進帳についての新書では、この山伏問答の場面では、弁慶は富樫を山伏として脅しているといった意味のことを書いていたと記憶しているが、まさに、そんな山伏問答だった。ここで弁慶が完全に富樫より優位に立ったのがわかるのである。この山伏問答だけで、今日の勧進帳は成功と言っても良いと思った。それほど良かった。
富十郎の富樫は、前述したが、全体的にはあまり良くなかった。特に、冒頭の名乗りがまずかった。どういうわけか、低い声で、唸るような感じ。最後の「かたがた、きっと」で突然声を張り上げる。ちょっと品がないと感じた。それでも、山伏問答からは吉右衛門との息も合ってきた。義経打擲後、一度目の引っ込みで涙を隠すように上を向く仕草は、観客から背を向け控え目だった。弁慶に圧倒された富樫としては、まさにこのやり方が良いと思った。
義経福助だが、これも良くなかった。花道の「逢坂の」での型は、女形としての柔らかさが出過ぎていた。その一方で、台詞はやけに太い声を出すが、これもやりすぎ。弁慶と富樫とのやりとりの間の座っている形も悪い。また、「判官御手を」では、弁慶に近寄り過ぎて(というか、大きく動き過ぎて)、これも義経としての気品を欠くものであったと思う。(もっとも、これほど義経に違和感を持ったのは、いつもと違って2階の下手寄りで観ていたせいかもしれない。特に役者の型や動きについては、1階で観ていたら、印象も異なるものだったろう。)
最後の引っ込みは、充実感満点。座席の関係で花道の七三までしか観られなかったが、それでも吉右衛門の勢いと迫力は伝わった。(大向こうも張り切っていたが、「ごゆっくり」という掛け声は、どうかと思う。会場からも失笑が漏れていたが、役者の見せ場をじっくり観たい時に掛けるものとして、「たっぷり」と「ごゆっくり」とでは、ニュアンスが異なると思うのだが、どうだろう。それとも、昔はふつうに掛かっていたのだろうか。)
四天王は新鮮な配役だが、観るべきところはない。
『植木屋』うーん。梅玉にはやはり上方のつっころばしは似合わない。この芝居は、鴈治郎で観るものだろう。つまらなくはなかったが、面白くもなかった。残念。(梅玉は、福岡貢だけはいいんだけどね。)