勘三郎襲名 五月歌舞伎座昼の部

kenboutei2005-05-15

勘三郎襲名興行の観劇も、今回でいよいよ最後。(たぶん) 長かったような、短かったような。やれやれといった気分も多少ある。
『車引』はじめて「車引」を生の舞台で観たのは、平成5年の團菊祭。今の海老蔵の松王、松緑の梅王、菊之助の桜丸だった。自分も歌舞伎を観始めて日が浅かったのだが、「何だか子供が大声で怒鳴っているだけだなあ」と思ったものだ。
海老蔵の松王はその時以来だそうだが、もう充分立派な松王丸。声量豊かで腹の底から響き渡る迫力がある。ただ、見得をきるため右腕を上から下へ降ろす動作を、ストップモーションのように段階的に動かしていくのは、正しいやり方なのだろうか。力感を出そうとしていたのかもしれなが、動きとしては美しくないと思った。
一番良かったのは勘太郎の梅王丸。これには驚いた。まず編笠を被ったままで、桜丸と話すところから、荒事としての梅王をよく表現していた。ちょっとした動きにも大きさを感じた。顔は見えなくても、おそらく笠の中では梅王丸の「顔」をしていたのだと思う。笠をとって表われたその顔も立派。勘太郎も含めて、最近の若者はみな顔が小さかったり細かったりするので、荒事役者としては不利なのだが、勘太郎隈取りも映えていて、しばし見とれてしまった。顔だけでなく口跡も良かった。後半は息切れした部分もあるが、気持ちの良い梅王丸だった。
この三ヶ月の襲名興行で、勘太郎は大きく成長したのではないかな。特に、三月の猿若を観た時も書いたが、立役としての限りない可能性を、改めて今日の舞台で感じた。もう一度書くが、「中村仲蔵」襲名を強く勝手に期待する。
七之助の桜丸は、普通。というか、1階席2等の後ろの方で観ていて、「柱」が邪魔になってよく見えなかった。(歌舞伎座の建て直しには反対だが、あの柱を取り除く工事だったらすぐにでもやってほしい。)
若手の『車引』、期待以上の水準で満足できた。こういう様式的な、いかにも「歌舞伎」という感じの舞台は、幹部クラスの年期の入った役者でなければ格好がつかないものだと思うのだが、今回の三人は、バランスが良く、調和がとれていた。何より、兄弟喧嘩をしている雰囲気がストレートに伝わってきた。
『芋掘長者』初めて観る。ほのぼのした感じ。観終わって何故か『三人片輪』が観たくなった。
『芝居前』華やかで楽しく、幸せな気分。両花道が嬉しい。雀右衛門、相変わらず台詞が覚束ない。引きずられて、芝翫富十郎も台詞がなかなか出てこなかった。最後は観客も一緒に勘三郎襲名を祝って三本締め。
『髪結新三』勘三郎の襲名舞台としては、「研辰」以上に期待していたのだが、それほど良いとは思えなかった。
勘三郎の芝居以前に、何故この配役なのかがわからなかった。
三津五郎の二役、特に大家は襲名ならではの御馳走なのだろうが、同じ御馳走なら、今月同座している菊五郎の大家なんかを観てみたかった。(かつて菊五郎團十郎に頼んで大家をやってもらったように。もっとも、勘三郎との関係では無理なのだろうか?)
手代忠七の方も、平成12年の時のように芝翫だったら、より襲名色が強くなったと思う。(この時はお熊が玉三郎又五郎も出ていた。考えてみると今回よりずっと豪華かつ最適な配役だったな。先代勘三郎の十三回忌追善だった。)
また、富十郎の弥太五郎源七も疑問。富十郎だけに、さぞいい源七なのだろうと思っていたのだが、台詞が黙阿弥調ではなく、観ている方は消化不良感が強かった。
黙阿弥といえば、秀太郎のお常も無謀な配役だろう。弟の仁左衛門とは違うのだから、上方の役者を黙阿弥の芝居にあてるのはもっと慎重にやるべきだ。「今の役者は黙阿弥の台詞すら正しく言えない」と言ったのは田之助だったと思うが、序幕の白子屋見世先の場は、本当に黙阿弥とは別の芝居を観ているようだった。ここはやはり田之助でお常を観たかったところだ。
で、勘三郎だが、もはや手慣れた感があるのか、気迫が感じられなかったというのが正直なところ。良かったのは永代橋の場で、ここは花道を出て来たところから、それまでの愛想の良い髪結いから豹変している雰囲気があった。お馴染みの大家とのやりとりは、もちろん面白いのだが、「上手い」という印象は最後まで持てなかった。時々出てくる捨て台詞に愛嬌があり、ビデオで観た先代に良く似ていた。
・・・やっぱり新勘三郎が一番力を入れていたのは、「研辰」だったのだなあ。