勘三郎襲名 五月歌舞伎座夜の部

kenboutei2005-05-04

勘三郎襲名興行もいよいよ最後の月となった。まずは夜の部を観劇。
『四の切』菊五郎の忠信、菊之助の静、海老蔵義経。三人揃った時のバランスが非常に良い。どこをとっても絵面の美しさがあり、ここ数ヶ月久しかった古典の味わいがたっぷり。菊五郎は、前半の本物の忠信が手強くて結構。最後の上手への引っ込みの形が美しかった。しかし、狐忠信になってからは、あまり良くない。台詞廻しが平坦。もっと狐言葉を強調しても良かったと思うのだが。狐としての動きは優雅で、澤瀉屋型とは別の魅力があり、これはこれで好きだ。菊之助の静は初役だが、美しさと気品を備えた良い静だったと思う。海老蔵は普通。
『鷺娘』玉三郎。ただひたすら息を詰めて観る。膝の動きのしなやかさに感心した。ラストは前回観た時より少しあっさりしていたような気がする。
『研辰』この芝居が、新勘三郎の本当の襲名披露なのだろう。四年前に比べてさらにパワーアップ。充実していてエキサイティングな舞台。とにかく、観客と役者が一つとなって、劇場に熱気が溢れている。演劇の原点のようなものがそこにある。そして、勘三郎が本当に生き生きとして演じている。何だかこれまでの窮屈感から一気に解放されたような印象。実に楽しかった。
帰宅後に、以前録画しておいた延若の『研辰』を改めて観てみる。(本当は、「勘九郎箱」に四年前の舞台が収録されているはずと思っていたのだが、勘違い。あったのは同じ野田版の『鼠小僧』。『研辰』も入れておいてほしかったなあ。) 延若の舞台は昭和57年のもので、脚色は今回と同じ平田兼三郎。比べてみると、話の骨格は野田版の方も思いのほか忠実。敵討ちの兄弟に追い詰められ、研辰が両人に媚びへつらい、あげくの果てに犬になってみせるところも同じだった。その上で、野田秀樹独特の演出が加えられているわけだが、特に敵討ちを煽る群集心理が一層強調されているのが、野田版の最大の特色だろう。(初演の時も同じ指摘があったと思うが)
配役も四年前とほぼ同じなので、どの役者も水を得た魚のよう。(福助の「あっぱれじゃ」も更に磨きがかかり、もはや彼の「型」となっている。)ちょうど公開中の映画『真夜中の弥次さん喜多さん』のパロディがあったりで、その辺のハチャメチャさも生の舞台の楽しさである。(個人的には、アンガールズのネタがツボだった。勘三郎七之助のいる前で、「この中で逮捕された奴はいるか」と言うのは、ちょっとやり過ぎだが、許す。)
終始観客を爆笑させていながら、最後はシーンとさせるのもさすが。先ほど述べた、研辰が犬になって命乞いするところは元の脚色にもあったが、一層痛切なものとなっている。これは野田秀樹の演出以前に、勘三郎の持つ役者としての本来のうまさだ。更に、「これは敵討ちではなく、人殺しだ」という研辰の述懐(この台詞も延若版にあった)で、下座から胡弓が流れるのが見事。最後に研辰の身体に、一枚の紅葉がひらひらと落ちて首元にぴたりと止まるのは、もっと見事。
一つだけ残念なのは、この野田版があまりにも強烈すぎるので、今後「野田版」でない『研辰』(延若だけでなく、勘三郎もやっている)は、もうかからなくなってしまうことだろう。ビデオで観たかぎりでは、水入りや宙乗り(というか「宙づり」)のほか、客席での追いかけっこもあったりでそれなりに面白く、これも残してほしいと思うのだが。(「四の切」のように音羽屋型と澤瀉屋型が共存するのが理想的だが、無理だろうな。)
幕が引かれ、当然のようにカーテン・コール。(終わってすぐに客席が明るくならないので、織り込み済みなのだろう。)一階はスタンディングオベーションしている客が一人だけいたが、二階、三階はどうだったのだろう。おそらく千秋楽は、総立ちになることはほぼ間違いない。
昼の部をまだ観ていないが、この三ヶ月の襲名披露興行では、演目の組立ても含めて、一番良い成果だったと思う。
(・・・『弥次さん喜多さん』、観に行こうかな・・・)