歌舞伎座夜の部 人間国宝ばかりの「野崎村」

kenboutei2005-02-05

今月は昼も夜も地味な演目だなあと思っていたのだが、数日前に配役を確かめて驚いた。『野崎村』、芝翫のお光、雀右衛門のお染、鴈治郎の久松、富十郎の久作、田之助の後家お常。みんな重要無形文化財、すなわち人間国宝だ。こんな大幹部だけの舞台、自分は経験がない。(しかも前の幕では菊五郎も出演。残りの人間国宝又五郎だけという、松竹の不思議な大盤振る舞い。) 考えようによっては、来月からの勘三郎襲名よりもビック・ニュースのはずだが、あまり騒がれていないのは、今の歌舞伎人気の底の浅さを証明しているようでもあり、少し寂しい。
一方で、みんな70歳以上の役者ばかりで演じる「野崎村」とは、どんなものになるのか。ちょっと想像ができない。間違いなく今回が最初で最後の顔合わせとなるだろうが、期待と不安、半々で木挽町に向った。
まず芝翫のお光が登場。普通、お光が登場すると、わっと舞台が明るくなるように盛り上がるのだが、芝翫のお光は地味。なます作りの前に、押し入れから鏡台を出して、祝言に備え髪を整える。さらに懐紙を細長く折って自分の眉毛を隠して鏡を覗き、久松の妻となった姿を想像して恥ずかしがる。こういう型は初めて観た。筋書のインタビューからすると、六代目の型なのだろう。この後、包丁で指を切った時、その折った懐紙を血止めに使うという、凝ったやり方だった。もっとも、なます作りも含め、手順が多すぎて、芝翫はそれをこなすのに精一杯という感じで、観ているこちらも落ち着かなかった。
お染登場。雀右衛門は、相変わらず、奇跡のような美しさ。台詞は入っていないにもかかわらず、お染そのものになっている。が、お光とのやりとりは、あまり弾まなかった。芝翫雀右衛門の相性なのか、この辺りが大顔合わせの難しさかと思った。
続いて、富十郎の久作と鴈治郎の久松が舞台に。富十郎の台詞がテンポがあって心地良い。お灸のやりとりも、文楽に匹敵する面白さだった。鴈治郎の久松は、神妙。(久松役はみんなそうだが)
この後、お染と久松のくどきは、不覚にも眠ってしまった。
後半、お光が髪を切って再登場するあたりから、面白さは倍加。特に芝翫は前半より後半の方がずっと良い。
お染と久松が共に自害しようとする時、久松は鎌を手にする。これも初めて観る型だ。
この辺で田之助の後家お常がやって来る。これで五大人間国宝揃い踏み。
そして、クライマックスの土手の場。ここは、この五人ならではの、実に絵になる壮観な舞台となった。両花道で去って行く雀右衛門田之助鴈治郎、それを土手から見送る芝翫富十郎。こんな贅沢な場面はない。このワンシーンだけでも必見といえる。
ラストでお光が久作に泣きつく前に、久作がつまずき、お光が助け起こす。こういう手順もこれまで観たことがない。
・・・結局、この大顔合わせの舞台はどうだったのかと言うと、簡単には表現しにくい。役者の迫力はあったが、話の運びは今一つという気がする一方、特に芝翫が見せる型の面白さは新鮮であり、それに合わせる富十郎らも味があった。
ただ、観ていてずっと思っていたのは、この顔合わせで何故「野崎村」なのか、ということであったのも事実。この五人なら、例えば、「寺子屋」や「山科閑居」なども観てみたかった。(妹背山の「山の段」もいいが、あれは四人で済むなあ。)
まあ、今後伝説となるのは間違いないと思うので、観て損はないだろう。月の後半には、五人のアンサンブルも、もっと良くなっているはずだ。

前後の幕。
『ぢいさんばあさん』。仁左衛門菊五郎。どちらかというと、仁左・玉で観たかった。
『二人椀久』。意外と孝太郎が色っぽくて良かった。