七月歌舞伎座「桜姫東文章」

kenboutei2004-07-18

猿之助が休演のため、7月恒例の奮闘公演は、玉三郎澤瀉屋若手で補うこととなり、出し物が「桜姫東文章」。上下に分けて昼夜で通す。松竹もタダでは起きないという感じ。通しで観るとそれなりに満足するが、やはり観客には不親切だ。
「桜姫」は、数年前、国立劇場幸四郎染五郎親子で観たが、孝夫・玉三郎コンビの写真で想像していた淫靡で退廃的なイメージとはほど遠い、無味乾燥な舞台で、途中から熟睡してしまった。今月号の「演劇界」での桜姫の特集や、歌舞伎座の筋書でも、この国立の舞台のことは殆ど無視されていたから、やはりあれは忘れてもいいのだろう。初見のつもりで今日の舞台に臨んだ。
玉三郎の桜姫、やはりこの人の当り役だけあって、美しさに加えて、自由自在にこの役を操る余裕も感じた。姫言葉と女郎言葉のごちゃまぜのおかしさなどを、今の観客にきちんと伝えられるのは玉三郎以外にいないのではないか。大抜擢の段治郎は、いっぱいいっぱい。権助はまだ様になっているが、清玄は、最初の出で道成寺の所化にしか見えないのはつらい。まあしかし、玉三郎に引っ張られて頑張っていたので好感が持てた。
南北の世界の面白さも満喫できた舞台だったのだが、特筆すべきは、新清水の花見で幕が開いた時に現れた玉三郎の桜姫の赤姫姿である。真ん中に赤姫独特のポーズで座っているだけなのだが、そこに芸格の大きさを感じた。これほど美しく、大きく、品がある赤姫を観たのは初めてであった。大げさかもしれないが、五代目歌右衛門の写真で見る八重垣姫のようだった。この姿を観ただけで、今日は満腹で、実はその後のストーリー展開などどうでもよくなっていた。先月の揚巻をも凌駕する座頭の女形がそこにいた。
・・・他の芝居は書く気がしないな。