12月国立劇場 忠臣蔵外伝

kenboutei2013-12-22

2ヶ月連続の『仮名手本忠臣蔵』で話題の歌舞伎座に対し、国立は『忠臣蔵』の外伝で挑む。企画としてはまずまずだが、吉右衛門一座だけでは、やはり分が悪かった。
『主税と右衛門七』
隼人の主税、歌昇の右衛門七、歌六の内蔵助、米吉のお美津。討入前夜を描く。会話劇だが、隼人も歌昇も、ただ台詞を言っているだけで、気持ちが伝わってこない。なぜその台詞を言っているのか、聴いていてもよくわからなかった。そのため、とてもつまらなく感じた。
初演時は10代の幸四郎吉右衛門だったそう。隼人・歌昇は当時の彼らより年長であるにもかかわらず、どうにも子供っぽいのも、時代のせいなのだろう。
隼人が鼓を自分で打っていたのは感心。
最後に、歌昇が万感の思いに達した時、胸を右手で掴むように叩くのは、今時のスポーツ選手のポーズのようで、この時代の若者の仕種には見えなかった。
 
『弥作の鎌腹』
かつて日本橋か江戸博で歌女之丞らがやっていた公演で観たような気もするが、記憶が定かではない。
弥作は千崎弥五郎の兄という設定。弟の討入りの秘密を悪人に漏らしてしまったことから、切腹に至る。
吉右衛門の弥作は、朴訥とした田舎猟師の面白さはあったが、初代が持っていたという愛嬌には欠けるきらいがある。眼目の「言いやせぬ!」という台詞は、気迫がみなぎり、良いものであった。鎌の柄につけた紐を柱に結びつけ、勢いをつけて身体ごと引っ張り、自分の身体が紐で結ばれた鎌より前を突き進むその勢いで腹を切るのだが、本当にそれで腹が切れるのか、ちょっと無理は段取りのような気がした。
友達猟師の由次郎、桂三が良い味を出していた。橘三郎の悪人・柴田七太夫が秀逸。又五郎の弥五郎、芝雀の弥作女房おかよ。(実は、ほどんどウトウトしていた。)
 
忠臣蔵形容画合
大序から七段目までのパロディ。「忠臣蔵七段返し」という別の名題もついていた。
播磨屋萬屋若手の練習の場。
芝雀お軽、錦之助平右衛門の七段目人形振りあり。
鷹之資が力弥。先月の歌舞伎座より今回の方がすっきりと凛々しく見えた。
五段目は、歌六が定九郎と与市兵衛を早替りで見せた。
吉右衛門が由良助で最後を締める。

12月歌舞伎座 『忠臣蔵』通し 昼夜

kenboutei2013-12-15

2ヶ月連続の仮名手本忠臣蔵通し。先月と同じ場割で。
今月は幸四郎玉三郎染五郎海老蔵菊之助七之助獅童ら。世間的に知名度の高い役者が揃った分、今月の方が人気なのは、口上人形時の拍手と団体客の多さでわかる。(日曜日だったが、自分の席の後ろはズラリと団体客)
海老蔵が道行の勘平の他、初役で師直、平右衛門。玉三郎は道行と七段目のお軽。七之助が六段目のお軽と顔世。染五郎は五・六段目の勘平、若狭之助に石堂。菊之助の判官、獅童の定九郎。
先月同様、役の一貫性は無視した配役なので、通しなのに見取り狂言的印象を受けるのは否めなかった。
なかでは海老蔵の師直、平右衛門が印象に残る。
海老蔵の師直は、滑稽味があるのと、見得になった時が義太夫人形っぽく見えるところが面白い。呂の声がくぐもり、場内に響き渡らない弱点はあるものの、いい意味でユニークな師直であった。
刃傷の場で、邪魔になった文箱と手燭を思いっきり後ろに払いのけたのは、かなり乱暴。(先月の左団次も乱暴だったが、それ以上。)
平右衛門の方は、まず玉三郎のお軽と兄妹に見えたところが偉い。お軽と平右衛門とのやりとりは、最近は恋人同士に見えるようなコンビもあるのだが、そうならずに、一定の距離感があったのが良かった。これは玉三郎側との関係もあるのだろうが、見ていて気持ちよかった。
もう一つの海老・玉コンビの道行は、案外平凡。
しかし、玉三郎の美貌は衰えを見せず、美しいものであった。花道の引っ込みは、まさにお似合いのカップル。憂いある海老蔵の眼差しと、気品を保った玉三郎の美しさが目に焼き付いた。
権十郎の伴内が、初役だそうだが、良い出来。
菊之助の判官は、先月の親父の絶品を見てしまうと、色々と物足りなさを感じてしまうのは是非もない。終始控えめであまり顔の表情も変えないのは、判官としての気位や品格を意識してのものだと思うが、見ているとおとなしすぎて面白味に欠ける。他の役者みたいに表現過多になるよりはましだが、それにしてももう少しなんとかならないか。若手では随一の判官であるだけに。
染五郎の勘平は、全体的に地味で暗い印象。特に五段目は、動きもぎこちなく不調に思えた。六段目で持ち直したが、それほど感心はしなかった。
先月のと比べると、音羽屋型ともまた違う。刀身で髪をなおす手順は、染五郎の場合、刀を上に向け、自ら抜いていた。2ヶ月続けると、こういう違いもわかって、そこは面白かった。
相手となる七之助のお軽は、顔世同様、あまり印象に残らなかった。
吉弥のおかやが手強くて良い。
この場で千崎と不破が訪れる場面では、「取り込み中」で帰りかけずに、少し身体を動かしただけであった。
幸四郎の由良助は、刃傷・評議より茶屋場の方が幸四郎らしくて良かった。
太々神楽」などの台詞は幸四郎の場合、より音曲性のある言い回し。吉右衛門より柔らか味と芝居性があるのが特徴。
玉三郎のお軽は、海老蔵の平右衛門に対するのとはまた別で、座頭幸四郎と互角の芸格。かといって重々しくなるのではなく、お軽らしい華やかさを保っている。久しぶりに見たが、充実のお軽であった。
定九郎の獅童、顔が古風で雰囲気はあった。鮮やかな朱鞘がこの古怪さに似合っていた。

菊五郎吉右衛門の充実・重厚な先月に対し、今月は役者の華で見せた『忠臣蔵』であった。

初めての京都南座顔見世 昼の部

kenboutei2013-12-08

梅田から阪急線で河原町。1時間かからず390円。3階の一番前だが、1万5,000円。10時30分スタート。
 
『日招ぎの清盛』
正式外題は『厳島招檜扇』。
我當の清盛。台詞が長くなると、声量が落ち、聞き取りにくくなる。体力的に限界か。清盛は以前見た公家悪ではなく、剃髪姿。眼目の日招ぎは、照明で演出。背景は変わらず。どうせなら沈んだ夕日が戻ってまた昇る場面を絵面で観たかった。それが歌舞伎的嘘の美学と思うのだが。
澤瀉屋一門と亀鶴、亀寿、萬太郎。息子の進之助。
隣の老婦人が幕開き直後に「澤瀉屋!」と声を掛けたが、舞台にいたのは我當。間違いに気が付き、動揺していた。(幕間に隣の客と会話しているのを漏れ聞くと、大阪で大向こうを掛けるサークルのようなもの入っており、勉強中とのこと。関西にもそういうのがあるのか。)
 
『道行旅路の嫁入』
時蔵の戸無瀬、梅枝の小浪。
この親子での舞台は、あまり記憶になく、新鮮に映った。どちらかというと現代的な感覚を持つ時蔵と、若手では珍しい程古風な雰囲気のある梅枝。親が新しく、子が古いという、対比の妙が面白かった。これが踊りまでそうなのかは、うつらうつらの中での観劇だったので定かではないが、この親子の共演は、もっと見続けていきたいと思った。
 
『ぢいさんばあさん』
中車の伊織、扇雀のるん。右近の下嶋。中車の舞台はまたも新歌舞伎限定。しかし、新歌舞伎も実は難しいのは前述の通り
中車の伊織はかなりぎくしゃく感がある。鼻に手をやる癖も、わざとらしい。張る台詞も無理しているようで、聞いていて辛い。そう思っていると、着物で立っている場面も、違和感を持ってしまうようになる。「小栗栖の長兵衛」を観た時は、これから慣れるだろうと思っていたが、まだ道のりは遠いようだ。
これに比べると、扇雀、右近はしっかり新歌舞伎の台詞になっているのは、当たり前ではあるが、やはりこれも型なのだと再認識。
 
『二人椀久』
愛之助の椀久、孝太郎の松山。
仁左衛門の椀久で観たかったというのが偽らざる本音だが、愛之助・孝太郎コンビもなかなか魅力的であった。体型的に似たようなスタイルで身長差も程良く、踊り手としての親和性があるのではないか。後半の手踊りなどは、息が合っていて面白く観れた。
仁左衛門玉三郎富十郎雀右衛門のような名コンビになるよう、続けていってほしい。
 
『四の切』
猿之助の忠信。藤十郎義経秀太郎の静。
新橋での襲名時と全く同じ。段四郎は休演で寿猿の法眼。飛鳥に竹三郎。ご馳走かどうかわからぬが、亀井に松緑駿河愛之助が付き合う。松緑は昼の部はこれだけ。(夜の部も最後の一幕だけだった。)
猿之助は、すでに手馴れた感が漂い、狐言葉は意図的に伸ばしたり、縮めたり。伸縮自在だが、才気だけが目立ち芸の味わいには乏しい。
それでも、澤瀉屋型の狐忠信として、これ以上のものはいない。
面白かったのは、秀太郎の静。新橋でもそうだったが、忠信の動きへの反応が好感。控えるところは控えつつ、びっくりした時には思い切り芝居をしている。最後の「おさらば」では、身体を横に曲げてお辞儀をしていた。藤十郎義経と飛び去る忠信を見送る姿も新橋同様、微笑ましい。
藤十郎義経は、「気早の大将」などを省略。
3階で観ていたので、引っ込みまで楽しめた。
 
帰りは先斗町で食事。

初めての京都南座顔見世 夜の部

kenboutei2013-12-07

大阪で海遊館見学後、京阪電車で京都へ。
初めての京都南座。もちろん、その顔見世興行も初めて。1等席で2万5千円(!)。全体的に狭い劇場(内も外も)。
猿之助、中車、猿翁の襲名披露。仁左衛門休演、梅玉出ずっぱりの奮闘。
今日は夜の部を観る。
 
『御浜御殿』
梅玉の綱豊卿、中車の富森助右衛門、孝太郎のお喜世、時蔵の江島、我當の勘解由。
梅玉と中車のやりとりは、とても青果の台詞劇とは思えない。これは歌舞伎自体が初心者の中車だけでなく、梅玉にも責任があったと思う。台詞廻しについては、新歌舞伎の方がむしろ難しいのかもしれない。この二人につられてか、孝太郎のお喜世も雑な演技が目立った。
 
『口上』
幕が開くと、舞台は猿之助、中車、藤十郎のみ。猿翁は最後に呼ばれて登場する。
藤十郎は、東京と同じく、紙を読み上げるスタイル。猿之助、中車ともに「東京で襲名したのをここ京都でもお披露目する」という趣旨の挨拶。
猿之助「自分が南座顔見世に出るのは9年振り。猿之助のまねきが出るのは18年振り。猿翁のまねきは、今回が初めて」
中車「中車は重い名跡南座のまねきにその名前が載るのは、昭和40年12月以来、48年振り。実はこの月に、自分は生まれた。」
最後に猿翁登場。今回は素顔で羽織袴。裃はつけず。以前に比べ一層頬がこけ、痩せてしまっていた。隣の猿之助が挨拶を代読。それに応じて、猿翁は一生懸命身振りで表現しようとしている。パントマイムのような、人形振りのようなそのギクシャクとした動きが、むしろ悲しい。「すみからすみまでずずずいと」のところでは、自ら声を発していた。頭はおそらくクリアなのに、身体と言葉が思うようにならない現実。それを見せつけられている我々は、どう受け止めるべきなのか、いまだに戸惑ったままだ。
今月は段四郎も休演。かつて、猿翁・段四郎兄弟の襲名披露興行後に起こった悲劇が、今度は中車・猿之助兄弟に訪れかけているという不安を拭い消せぬまま、「口上」は終わった。
 
『黒塚』
猿之助襲名披露狂言昨年の新橋と同じだが、阿闍梨團十郎から梅玉に(この事実にも嘆息)。梅玉阿闍梨は、品が良く、團十郎よりも立派。その分、新橋よりも今月の方が良かった。舞台の間口も違うので、セットは少々貧弱。
 
『新口村(清元)』
藤十郎の梅川、翫雀の忠兵衛。清元版の「新口村」(外題は『道行雪故郷』)は、この二人しか登場しない。浅葱幕が振り落されると、筵に身体を隠した二人が舞台中央に表れるが、二人とも体型が豊かなため、筵の中が窮屈に見えた。踊りは、ほとんど左右に動かず舞台中央周辺で、二人が立ったり座ったり、回ったり手をつないだり。面白くも何ともない。だからといって清元が楽しめるわけでもなし。せっかく今月我當が出ているのなら、彼に孫右衛門をやらせて通常の「新口村」の方が良かったのに。それをさせない事情があるのが、南座顔見世なのか?
 
児雷也
梅玉がなんと児雷也。どうなっているのだ。通しでもなく(この時間だから当たり前だが)、ダイジェストのような不思議な一幕。蝦蟇の着ぐるみと最後のだんまりを見せるのが目的か。これも顔見世ならではなのか? 
愛之助松緑が、だんまりでようやく登場。この二人は夜の部はここだけ。午後9時過ぎからの出演。
笑也の綱手が、案外良かった。
幕切れの背景の虹の絵があまりにもチャチすぎて、歌舞伎を観ている気がしなくなった。
 
終演は9時35分(午後4時15分開始)。初日はもっと遅かったという。狂言立てはてんこ盛りだが、配役と中味はスカスカの上げ底感ありというのが、初顔見世の率直な感想。

11月明治座夜の部

kenboutei2013-11-10

明治座は、夜の部のみ観劇。
獅童を芯に、猿之助以外の澤瀉屋、松也など。昼の部では秀太郎が上置きだが、夜の部では出演していない。
 
『毛抜』
獅童の弾正。團十郎の生前時に教わったそうだが、悪い癖もそのまま教わった感じ。そこに獅童独特の現代的生臭さが加わり、江戸歌舞伎再現を目指した大らかさが全く感じられなかった。弾正がつまらないと、この芝居はとたんに眠くなる。(前進座で観た時もそうだった。)
 
『連獅子』
右近と弘太郎。澤瀉屋系は、勘三郎親子のとは相当違う演出。これはこれで面白い。弘太郎の仔獅子がキレよく表現豊かで感心した。多少スポーツっぽい点が難ではあるが。
 
『権三と助十』
獅童の権三、松也の助十。完全なドタバタ現代劇。これに笑也の権三女房が加わり、歌舞伎味、あるいは菊五郎劇団風の一体感の芝居の心地良さは皆無。まあそれでも芝居が成り立つのは原作の強みか。
笑也が松也の前田敦子の恋愛ネタ(「フライング・ゲット」など)でウケを狙うのも興覚めだった。
最後に彦兵衛役の寿猿が出てきたのが唯一の救い。
右近の大家、猿弥の勘太郎笑三郎の彦三郎。

11月国立劇場 「伊賀越」通し

kenboutei2013-11-04

『忠臣蔵』通しで沸く歌舞伎座に対し、国立劇場は、藤十郎ファミリー中心で『伊賀越道中双六』の通し。
無人の一座でどこまでできるかと思ったが、案外の上出来で面白かった。

いつもの「沼津」の前に、「行家屋敷」、「饅頭娘」、「奉書試合」がつく。沢井股五郎の所業と、政右衛門の敵討ちへの参画の過程がよくわかり、通しとしての意義があった。これに「岡崎」がつけば、もっと良かったのだが。
通しとしても観る価値はあったが、芝居の完成度としてはやはり「沼津」である。藤十郎の十兵衛、翫雀初役の平作、扇雀のお米。
藤十郎は高齢のせいか最近は踊りや軽い負荷の役ばかりだったので、当初大丈夫かと不安であったが、実に若々しく、驚異的な十兵衛となった。自在な芝居とはこのことで、見ているだけで面白かった。
一方、翫雀の平作は、先月の三婦に続いての老け役で気の毒に思ったが、むしろ生き生きと演じていて、新境地を開いた感がある。三婦の時もそうだったのだが、変に老け役を意識しないで地を出しながら演じていたのが、かえって自然に老人の滑稽さや頑固っぷりを表現できていて、良かったように感じた。
「千本松原」での親子の別れは、結構ジーンときた。(演じている役者は親子逆転しているのだが。)
扇雀のお米が、意外な程しっとりと演じ、なかなか良かった。
橋之助の政右衛門、孝太郎のお谷。初めて観る「饅頭娘」も、この二人がうまく芝居を作っていた。萬次郎の柴垣、彦三郎の宇佐美も安定。
鶴亀の孫八、虎之介の志津馬。
翫雀が二役で誉田大内記。
市蔵が敵役の股五郎、その仲間桜田林左衛門が亀蔵

11月歌舞伎座 忠臣蔵通し 昼夜

kenboutei2013-11-03

新しい歌舞伎座で、ようやくの『忠臣蔵』通し。
来月も配役を替えて2ヶ月連続での『忠臣蔵』という趣向で松竹役者総出だが、同じ2ヶ月連続なら、二段目や九段目、十段目もかけたり、『四谷怪談』と合せたりなど、もっと工夫の余地があるだろうに。
 
菊五郎の判官、勘平が、ともに本役で素晴らしかった。特に勘平は、五段目の流れるような動きと形になった時の美しさ、六段目でも寸分の隙もない芝居運び。鞘から抜けた刀身で髪を直す一連の動作は、完璧。もしかしてこれが最後になるのかとも思わせる程、入魂の役であった。大序・三段目の判官もさすがの気品。
吉右衛門は由良之助。四段目と七段目の由良之助を一度にやるのは初めてとか。四段目は、肚に感情を抑えた芝居に迫力と大きさがあった。菊五郎とのやりとりの緊迫感も、ただならぬものがあった。(菊五郎の判官の「かたみ」から「かたき」への台詞の変化も面白かった。)
七段目は、全体的に抑え気味。スラスラと運んでいく。多少声も弱く感じたが、しかし張るところはしっかり張って聴かせるのはさすが。「太太神楽」のところは愛嬌もあって面白い。他を圧倒するところまでではなかったものの、立派な由良之助であることには変わりなかった。
福助のお軽(七段目)はまずまず。時々顔や声に地が顕れるのさえなければ。
気の毒なのは梅玉の平右衛門。ニンにない役。ソツなくやっているが、やはりつまらなかった。
梅玉は他に若狭之助と道行の勘平だったが、この二役は本役で立派な出来。しかし、松竹は梅玉をあまりにも便利に使い過ぎているのではないか。(梅玉も安易に受け過ぎだと思う。)
六段目と道行のお軽は時蔵。どちらもあまり精彩がないように感じた。
左団次は大序・刃傷では師直、四段目は石堂、六段目は不破数右衛門と、仁左衛門休演の影響とはいえ、この割り当てでは、見ている方は混乱。
芝雀の顔世、梅枝の力弥(四段目)、松緑の定九郎。一文字屋お才に魁春七之助の直義。
東蔵のおかやがうまく、菊五郎の悲劇を引き立てた。
團蔵の道行の伴内が自在で面白かった。
鷹之資が大詰の力弥で久しぶり。

(その後、福助休演で芝雀が七段目のお軽に。こっちの方が見たかったかも。)