竹三郎の会

kenboutei2013-08-11

大阪、国立文楽劇場にて「傘寿記念 坂東竹三郎の会 〜四世尾上菊次郎三十三回忌追善〜」を観る。二日興行の二日目夜の部、すなわち千秋楽。過去にも珍しい演目を出して定評のあった「竹三郎の会」を観るのはこれが初めて。プログラムによると今回で最後とか。
『女団七』
初めて観る。『夏祭』を女に書き換え、舞台も大阪から江戸に。
団七お梶に猿之助。スッキリといなせな感じを出しているのはさすが。しかし、団七もやれる役者である分、どうしても自分の頭の中で団七に変換して観てしまい、男女入れ替え趣向の驚きや新鮮味には乏しかった。こういう男から女という書き換えの場合、本当は真女形がやるべきなのかもしれない。
一方の義平次婆おとらの竹三郎は、悪婆系の魅力があり大変良かった。
序幕「柳橋草加屋の場」は、おとらが局になりすまして琴浦を連れ出そうとする。お梶によって見顕された後は「浜松屋」みたいになる。江戸の町名を散りばめた台詞は面白かったのだが、大阪ではあまり受けていなかった。
大詰めの泥場(「浜町河岸の場」)は、竹三郎の年齢を考慮してか、下手の砂場のようなところで顔に泥を塗りつけるだけ。その代わりお梶の猿之助が、本水のサービス。わざわざ着物に水をかけ、花道でしぶきを観客に振る舞っていた。
猿之助のお梶は、決めの形に錦絵から抜け出たような女形の美しさを出していて、そこは感心したが、一方で「どんなものだ」と言わんばかりのドヤ顔ならぬドヤ芝居(?)に見えてしまうところもあった。
琴浦役の片岡千壽が大奮闘。
磯之丞は隼人。この手の立役の声の出し方がまだ未熟。時々女形の発声となっていた。
おとらの相棒の甚内に薪車、男女蔵の釣船三婦、壱太郎の一寸お辰。
四谷怪談
幕が開き、上手で傘張り作業をしている仁左衛門伊右衛門が見えた途端、観客の大拍手と大向こう。誰もがこの伊右衛門を待っていたのだということがわかった。
仁左衛門伊右衛門は、白塗りの顔の美しさが際立つが、声は呂の声を効かせて力強い。最近の役者が演じる民谷伊右衛門は、かなり色悪を強調していると感じているのだが、仁左衛門は、決して単純な色悪ではない。といって、根本からの悪でもなく、一人の人間が悪へ落ちて行くその過程が垣間見える、深みのある伊右衛門像。今日は「浪宅」から「隠亡堀」までの短縮版であったにもかかわらず、そうした伊右衛門人間性を観客に気づかせる役作りをしているところが、仁左衛門のうまさだと思う。
また、先月の大蔵卿同様、台詞の丁寧さも相変らず素晴らしい。高家と塩谷家の対立が、仁左衛門の言葉一つで鮮明になっている。
「元の浪宅」の花道で宅悦を脅す場面も、刀を控えめに使うだけだが、凄みはしっかりある。「隠亡堀」での「首が飛んでも」の台詞は、声量はそれ程ではないものの、ビデオで観た八代目幸四郎のような迫力を感じた。
竹三郎のお岩は、もちろん自分は初めて見るが、会の主催者に相応しい出来栄え。武家の娘の貫録を持ち合わせ、なよなよしていない。薬を飲んだ後の苦痛や変貌の過程もストレートでわかりやすく、最近の役者にありがちな心理性の強いお岩とは対照的な、骨格の太い芝居となっている。観ていて疲れないのが何より良い。
宅悦の橘太郎も好演。本興業でも十分通用するだろう。
薪車の直助権兵衛は、台詞にうまみあり。小仏小平は壱太郎。
竹三郎二役の与茂七は、柄に合わないものの、だんまりの動きはさすが。仁左衛門、孝太郎のおたか、薪車の四人が揃って、大人のだんまりであった。
とにもかくにも、仁左衛門伊右衛門、竹三郎のお岩という二度と見られないであろう組み合わせ、しかも最近乱発気味の『四谷怪談』の中でも極めて高水準。(蚊帳を伊右衛門が奪い取る場面で変な笑いなど決して起こらない。)
昭和の歌舞伎は、きっとこんな風だったのだろうなという妙な感想も抱いた、至福の『四谷怪談』であった。

終演後、カーテンコール。出演者から花束を受け取り、竹三郎は既に泣いている。仁左衛門に挨拶をお願いし、最初は遠慮していた仁左衛門が語り出す。
「自分が今歌舞伎を続けているのも、竹三郎のおかげ。関西歌舞伎不振の時、竹三郎が頑張っていたので、自分も辞めることを思いとどまった。この人がいなかったら、今の自分はいない。」
竹三郎が孝太郎と猿之助を紹介。
「孝太郎とは母役で共演、猿之助とは祖母役で共演多し。今日は娘と孫が一緒。」
孝太郎「これからは、薪車さんが立派に後を継ぐと思う」
猿之助「今日は役者も客も竹三郎さんを好きな人ばかりが集まって、気持ち良い舞台だった。」
竹三郎が再び語り出す。
「養父菊次郎ともども、十三代目仁左衛門には大変お世話になった。ちょうどお盆の時期、今日は二人で観にきてくれているだろう。若い壱太郎、隼人がこれから歌舞伎を支える。自分もそれを見届けるべく、まだまだ頑張る。」
「もう喋れまへん」と言って、最後に仁左衛門が大阪三本締めで締めた。

役者と観客の一体感極まる公演に立ち会え、僥倖であった。