五月歌舞伎座第三部

kenboutei2013-05-19

『石切梶原』吉右衛門の梶原、菊五郎の大庭、又五郎の俣野、歌六の六郎太夫芝雀の梢。
吉右衛門の梶原、花道の出がヨタヨタした感じだったのは、前回同様。しかし、花道七三で、大庭や俣野に声を掛けられ、「しからばごめん」と声を張るところの爽快感が見事。ここから一気に吉右衛門の世界に入る。
吉右衛門型は羽左衛門型に比べて地味な印象があるが、今日の吉右衛門は、今まで観た中で一番派手で明るいと思った。それに加えて、上手の大庭方、下手の六郎太夫方、双方への目配せのうまさに感心した。どちらか一方が話の中心になる時は、そちらの方へ少し身体を向けてじっくりと聴き入る。相手の心底をしっかり捉え、自分の肚に納める様子が、外目にもはっきりわかる芝居。しかし、過剰な思い入れは避け、あくまでも芸容の大きさで見せている。とても良い梶原であった。
菊五郎が初役で大庭を付き合ったのも、この一幕が大芝居になった大きな要因。敵役としてどっしり構えていて、あくまで梶原と互角であるところが、これまでの大庭と違うところ。二人のあまり意味のない台詞のやりとりが、何とも面白かった。菊五郎の「大庭はでーみょー」のところも良かった。
これに又五郎の俣野の赤っ面が程よい刺激を与えてくれる。
歌六の六郎太夫も既に持ち役だが、これまでより情愛が増していた。
芝雀の梢も安定。呑助は彌十郎
これまで観た中でもベストの「石切梶原」。
しかし、「役者も役者」の大向こうは、一階席から義太夫っぽく掛かり、仕込みなのかもしれないが、あまり感心しなかった。
『二人道成寺玉三郎菊之助
もう何度目か、という感じで、実は観る前は食傷気味だったのだが、実際観ると、やはり感動してしまった。
これまで観たものに比べて、踊りの質が一つ別のステージに入ったような感じ。
それはまず菊之助に艶っぽさが出てきたこと。
最初の花道の出、七三で歩みを止めて見せた顔の表情に色気があった。菊之助の顔は綺麗なのだがどこか無機質的で冷たいイメージがあったのだが、ここでの七三の表情は、実に豊かなもので、少し驚いた。
さらに本舞台に入り、所化との絡みで木戸口に足を絡めて「坊さん、おがませて下しゃんせ」と言って決まる部分の、その足の絡ませ方と腕の上げ具合は過剰な程の淫靡さであった。
踊りについても、以前のように玉三郎についていくのに精一杯という感じではなくなり、全体的に大きく踊れるようになっていたと思う。特に「わきて節」の箇所はゆったりと花笠を扱い、感心した。
これであともう少し鐘への恨みや執着を表現できれば、もっと良くなるだろう。
一方の玉三郎については、菊之助とは逆方向というか、全体的に枯れた印象を持った。これまでのような玉三郎独特の振りの鮮やかさは影をひそめ、実にシンプルに淡々と踊っていたように感じた。ただそれが、踊りとして味わい深くなり、個人的には面白かった。玉三郎には薄かった古典味が出てきたようにも思えた。
菊之助贔屓の自分としては、玉三郎菊之助の『二人道成寺』が出る度に、二人で踊るより、早く菊之助一人での道成寺歌舞伎座で観たいと思っていたのだが、今日は、玉三郎道成寺を改めて観たいという思いが強くなった。
身体の無理が効かなくなってきていることは、舞台袖からの歩みの動きを見てもはっきりわかる。手数の少なさや振りのシンプルさも、これまでの玉三郎とは違う。しかし、それでもなお、いや、それだからこそ、今の玉三郎道成寺が見たいと思う。玉三郎にして、老いて花咲く魅力があるのだと、今日の舞台で確信したのである。おそらく独自の美意識を持つ玉三郎の意には反するのだろうが、歌右衛門晩年の道成寺渡辺保が観たという「名残りの花」を、自分も玉三郎から観てみたい。
(もちろん、菊之助の時分の花も観てみたいけれど。)