5月歌舞伎座 一部・二部

kenboutei2013-05-12

杮葺落し公演二ヶ月目。まだ正面玄関を通る時、昔あった階段を意識してしまう。
第一部
『鶴亀』梅玉の皇帝、橋之助の亀、翫雀の鶴、松江の従者。
先月のごちゃごちゃした『鶴寿千歳』より、よほど杮葺落しの祝典舞踊としては相応しい。特に梅玉の皇帝役が、見事に嵌まっていた。
寺子屋幸四郎の松王、三津五郎の源蔵、福助の戸浪、魁春の千代。
三津五郎の源蔵がとても良い。特に台詞廻し。義太夫味があると同時に、かなり声を張り、謳い上げる。これがとても気持ち良く聞こえる。もちろん「せまじき者は宮仕え」もチョボではなく、自分で言う。最近はとかく心理主義に陥り、悩み深い源蔵が多い中で、この明快さは貴重。それでいて単に明るいだけでなく、カドカドの動き、戸浪や松王、千代との台詞の応酬の確からしさは三津五郎ならでは。小太郎の首を切れと迫られた時、松王に向かって言う「いらざる馬鹿念」からの台詞のイキの詰め方などは、名人の義太夫を聴いているよう。久しぶりに見事な源蔵を観た。
福助の戸浪も、三津五郎に合わせてでしゃばることなく、立派であった。
幸四郎の松王は、仮病を強調しすぎ。咳払いはいつも程わざとらしくないが、とにかくフラフラしていて、松王丸らしくない。三津五郎のようにもっと大きく動いても良いのに、やはり心理主義幸四郎なのであった。首実検が終わってからの傷心ぶりも、これでは外へ出て行く前にすぐ「お前が親だろう」とバレてしまう。それでも、最近の幸四郎の松王の中ではましな方。
魁春の千代は、最初の花道からの出が良かった。最近の魁春は、歌右衛門にうるさく言われていただろう「品格」が感じられ、非常に貴重な女形となりつつあるように思う。
東蔵の園生の前。彦三郎の玄蕃は声が通る分、うるさ過ぎにも感じた。
三人吉三「大川端」。菊五郎のお嬢、仁左衛門のお坊、幸四郎の和尚。
とりたてて書き残すこともないが、さよなら公演の時は、同じ菊五郎のお嬢に対し團十郎が和尚で、團十郎菊五郎に血止めのための布切れを巻くのを忘れたんだよなあ、と思い出し、一人感傷に耽ってしまった。
おとせは梅枝。

第二部
伽羅先代萩藤十郎の政岡。かつての手強さや濃い義太夫味が影を潜めたように感じた。やはり藤十郎も年齢には勝てない。
「飯炊き」はまるまる省略。そのまま栄御前の登場に続くので、子供たちはいつ飯を食べたのだと気になってしまった。
梅玉の八汐、秀太郎の栄御前、時蔵の沖の井、扇雀の松島。藤十郎に限らず、全体的に低調な「御殿」であった。
「床下」は幸四郎の仁木、吉右衛門の男之助。幸四郎はここまでで既に三役目と大奮闘。中ではこの仁木が一番ニンだと思うが、五代目ゆかりのホクロの位置が、額の左側のかなり上の方にあり(ほとんど髪の生え際)、ちょっと変だった。
吉右衛門の男之助が迫力があり立派。赤っ面がまさに錦絵。
『吉田屋』仁左衛門の伊左衛門、玉三郎の夕霧。
何とも幸せな舞台。仁左衛門は、最初の花道の出の歩みが、父親にそっくり。編笠を取らなくても、その姿形に惚れ惚れする。そして、顔を見せてからの、その和事味の面白さ。「総身が金」と言われてめでたく思う彌十郎の喜左衛門だけでなく、観客の方も仁左衛門の伊左衛門を観ているうちに、幸せな気分になる。動きといい台詞といい、襲名の時も良かったが、今この時期が、まさに円熟の芸であり、仁左衛門以外の伊左衛門は考えられない。
対する玉三郎の夕霧も、その美しさ健在で息を飲む。この二人の舞台が人気であるのもよくわかる。
太鼓持に千之助で、3人での軽妙な動きも面白かった。
秀太郎のおきさが、さすがのうまさ。
一部二部通じて一番。気持ち良く、歌舞伎座を後にした。