四月新橋演舞場 若手花形による『忠臣蔵』

kenboutei2012-04-15

若手花形による『忠臣蔵』は、後に歌舞伎の世代交代やターニングポイントの象徴として語り継がれる場合もあるが、今月の一座は、おそらくそうした伝説とは無関係の、単なる一興行として記録されるに過ぎないであろう。もっともそれは役者に責があるというより、もっぱら企画側の問題ではあるが。
松緑の師直と平右衛門、菊之助の判官、獅童の若狭之助と定九郎、亀治郎の勘平、染五郎の由良之助、福助のお軽。
口上人形(新調された?)では、福助が三回のえっへん。他の御曹司は大体二回だが、亀三郎、亀寿が一回のみだったのは寂しい。
大序、冒頭は人形には見えず。学校の教室で目を瞑らされて皆で我慢しているような感じ。
亀寿が直義で、座元の若太夫として、紫の冠紐、履物も上で履く。
松也の顔世は柄が大きいので、もっさりとした出の感じであまりよろしくない。
松緑の師直は、顔に立派さや貫禄が出てきたが、甲高い声の幼さは相変わらず。「還御だ」を「かんぎょーだ」と言うので、「勧業」とは何だろうと思ってしまった。
獅童の若狭之助はまずまず、夜の部の定九郎よりずっと良い。
若狭之助が師直に冷たくされ、下手から上手に移って挨拶し直そうとするところを、上手に退場するものと思った客から拍手が起きたのには驚いた。役者も若ければ観客も若い。仮名手本忠臣蔵そのものを知らない客層も多くなったということだろう。
菊之助の判官は、大序はさしたることもないが、三段目・四段目は素晴らしい。多少、実事めいた感じはあったが、規矩正しい判官で、さすがに音羽屋の芸の伝承者である。本人もそれを意識して演じているのであろうことが、ひしひしと伝わってきた。新しい判官役者の誕生。
切腹の場の菊之助は、目にうっすら涙を浮かべて腹を切る。緊張感と気品の両方を保ちながらの一挙一動に感心。白の裃姿がこれほど似合う役者を、久しぶりに観た。
対する松緑の師直も、刃傷では奮闘。芝居っ気があって面白かった。菊之助松緑ともに初役。今後の菊五郎劇団の貴重な財産であり、大事にしてもらいたい。(本当は、菊五郎劇団の中で演じた方が、より良かったのだが。)
石堂に亀三郎、薬師寺は亀鶴。亀三郎が祖父羽左衛門を彷彿とさせる素晴らしい出来。声や居ずまいの立派さがある。亀鶴は新劇っぽくて良くない。
染五郎の由良之助。七段目でも感じたことだが、明らかに父親に教わったということがわかる、過剰な感情表現。七三で座り込んで、へなっと脱力してしまう由良之助など見たくない。父親同様、唇をブルドックのように震わせて台詞を張り上げるやり方も、困りもの。もともとニンにはない役だと思うし、無理はしない方が良い。
それにしても、松緑菊之助、亀三郎、そして染五郎と、父や祖父と同じ役を受け継いでいく歌舞伎の伝承の奥深さは、祖父の代の役をほとんど生で観ていない自分(この中では羽左衛門の石堂だけだ。)にとっても、強く心に刻まれるものだ。
道行は、亀治郎の勘平、福助のお軽。何だか愛のないカップル。二人がそれぞれバラバラに踊っている。特に亀治郎の勘平は目付きが悪く、これでは自ら勝手にお軽を売り飛ばしそうな感じであった。猿弥の伴内がチャーミングで、何とか二人を取り持っていた。不思議な三角関係だ。
夜の部は、五・六段目から。
亀治郎の勘平は、珍しい上方風。五段目は、あっさりとした感じ。火縄をくるくる回す動作も短い。六段目は、腹を切った後に、派手に動き回るのが面白い。山城屋に教わったとのこと。国立で鴈治郎の時にやったのを観ているが、あまり覚えていない。こんなことしてたかな。ただ、亀治郎藤十郎の口跡をうまく真似しており、こういうところは相変わらず器用。
獅童の定九郎は、上方ではなく、いつもの仲蔵風。
亀三郎の石堂は、昼の部に比べて精彩を欠く。亀寿の千崎。
亀鶴のお才、薪車の源六は、ともに良くない。おかやは竹三郎。
福助のお軽は、昼の部よりずっと良い。六段目は亀治郎を、そして七段目では松緑の平右衛門リードし、一番安定。まあ、この座組では当たり前ではあるが。
松緑の平右衛門は、動きの良さが印象的。
染五郎の由良之助は、出の存在感の薄さが致命的。台詞に重みがないのは、声の質のせいだろう。
さすがに討入りまで付き合う気にはなれず、茶屋場が終わって帰宅。

・・・今回の忠臣蔵は、若手の熱演は認めるものの、全体的な統一感に乏しく、大御所不在、プロデューサー不在の今の歌舞伎興行の実像がわかるようで、何だか複雑な気分となった。
御曹司はそれぞれ親や先輩から勝手に教わり、教える方も周囲とのアンサンブルなどまるで考えていなかったようだ。亀治郎の勘平は上方風に動きまわっている一方で、それに付き合う他の役者は相変わらず音羽屋型では、観ている方が戸惑う。福助は上置きなのだろうが、座頭と呼べる程のものではなく、とても舞台に睨みを効かしていたとも思えない。
歌右衛門の死以降、崩壊し始めた一つの規範が、歌舞伎座の取り壊しを経て、完全になくなっていることを、今日改めて気づかされた。(それが、新しい規範の始まりであれば良いのだが、そんな感じはしないんだよなあ。)