16年振りの明治座歌舞伎 昼夜通し

kenboutei2011-05-08

都心のアクセスでは自分にとって歌舞伎座以上に至便な明治座での歌舞伎公演は、16年振りだという。これまで舞台機構は整っているのに、松竹直系の劇場ではないためか、あまり歌舞伎が掛からないでいたのが残念であったのだが、これを機に度々上演してほしい。
昼夜通しで観る。
昼の部
『四の切』本公演では初役という亀治郎の忠信。前半の本物の忠信の方は、少し線が細い印象。本人は筋書で、「病み上がりで狐につけ込まれるスキもあり、単なる生締役ではない」と言っており、それを意識してのものなのかもしれない。しかし、そうだとしても、今ひとつ。下げ緒の扱いといい、最後の引っ込みといい、もう少し形をきっぱりした方が良いと思った。
狐忠信の方は、義太夫に乗った動き、狐言葉、共にかなりの水準であったと思う。かつて海老蔵の忠信に対し、猿之助が「跡継ぎ」と言ったそうだが、やはり正当な後継者は亀治郎であると思わせる、狐忠信であった。(海老蔵も、謹慎しているのなら、少しはその台詞廻しなど、見習ってもらいたいものだ。)
全体的にはややスピーディな展開。義経から鼓をもらってはしゃぐ場面もごくあっさりだったが、個人的にはもっと亀治郎らしくしつこくやってもらいたかった。
宙乗りも実に自然。初役とは思えない、終始自信たっぷりの様子で(まあ、亀治郎はいつもそうなのだが)、宙へ消えて行った。(明治座宙乗りを観るのは、福助の『羽衣』以来かな。)
門之助の静御前が、亀治郎以上に良い出来であった。赤姫らしい古風な佇まい。余計なことをしない行儀の良さも好印象。
染五郎義経
狐忠信の最初の出の仕掛けの階段が、その後なかなかうまく元に戻らず、芝居よりもそっちに気をとられてしまった。
『蝶の道行』染五郎七之助この前の梅玉・福助の時のように熟睡はせず、最後まで意識は保ちつつ観ることはできたが、何の感慨も覚えなかった。武智演出は、もう時代遅れだろう。『白日夢』を観た時にも思ったことだが、その批評性はともかく、表現者としての武智鉄二については、時代を超える普遍性は持ち得なかったという気がしてならない。
『封印切』先日藤十郎の珠玉の忠兵衛を観たばかりなので、どうしても比較したくなるが、それは気の毒。東京出身の若手役者中心の『封印切』も、それなりに一生懸命さが伝わり、まずまず良かった。
勘太郎の忠兵衛は、まさに藤十郎のコピーであったが、捨て台詞までも藤十郎の通りでは、上方和事本来の面白さは伝わらない。下手でも良いから自分の言葉で演じてほしかった。全体に絶叫型であるのは、力の入りすぎ故だと思うが、大真面目に取り組んでいることだけは、よく理解できた。
染五郎の八右衛門は、上方風とは一味違った独特の味わいがある。概ね仁左衛門の八右衛門を意識しているような気がする。
そしてこの二人の掛け合いが、なかなか面白い。世代的に近く、お互いまだ(歌舞伎の世界では)若いので、「友達同士の意地の張り合い」(要するにガキの喧嘩だ)といった感じで、封印を切るまでのやり取りが進んで、上方の色合はまるで感じなかったものの、芝居としての面白さは十分あったと思う。
七之助の梅川は平凡。二人のやりとりを横目で見過ぎ。
封印切後の、勘太郎七之助の二人だけになった場面は、つまらない。勘太郎が絶叫して嘆くだけ。間が持たない。
最後の引っ込みも藤十郎風だが、さすがに山城屋ほどのしつこさで引っ込むだけの腕はないため、割合早々に引っ込んで行ったのは、致し方なし。
吉弥のおえんは、新派っぽい。
小山三の仲居が元気で何より。
亀蔵の治右衛門。
 
夜の部
『牡丹燈籠』昼夜通して一番面白かった。これまで観て来た『牡丹燈籠』のどれにも似ていない、新しい芝居のような感じではあったが。
七之助のお峰がはじけていて良かった。染五郎の伴蔵とのイキもぴったりであった。昼の部の梅川とはえらい違い。馬方の久蔵に夫の行状を聞き出す件は、もっとしつこくやった方が面白いと思った。
勘太郎円朝は、あまり落語家には見えなかった。
亀蔵の久蔵は、怪演にならない程度に面白かった。
萬次郎のお米は、吉之丞のとはまた一味違ったうまさ。
亀鶴の源次郎、吉弥のお国。
全体に面白かったのだが、後には何にも残らない。新世代の『牡丹燈籠』。
『高坏』勘太郎。それほどの見所はなし。

昼夜ともに二回の30分休憩をはさんで、正味3時間。肩の凝らない、気軽な芝居見物には丁度良い。(値段は別。)
昼の休憩時は、近くの浜町公園で青空を眺めながらコンビニのおにぎりを食べた。ポカポカ陽気の、芝居日和であった。