『こころ』

kenboutei2011-04-23

神保町シアターの今回のテーマは、「華麗なるダメ男たち」。
たぶん、古い日本映画を観ているうちに、誰もが思うことなのだろう、「日本映画の男は、なんでこんなにダメ男ばかりなのか」と。おそらくそれは私小説の影響が大きいと思うのだが、自分も『あらくれ』を観た時に、「ダメ男列伝」なる言葉が浮かんだものであった。だからこの企画は、自分の思っていたことを追認してくれているようで、嬉しい。(もっとも、そのラインナップに『あらくれ』は入っていなかったのは残念。まああれは、本来一人の女性にスポットライトを当てた映画で、ダメ男たちはみな添え物だから仕方がないか。『杏っ子』が入っていたので、良しとしよう。)
今日は市川崑の『こころ』を観る。昭和30年の日活映画。
実は、夏目漱石の『それから』の青空文庫版を、iPod touchに入れたbREADERを使って読み終えたところだった。タイミング良く映画も上映されるので、どうなっているか観てみようと思って足を運んだのだが、受付でチケット購入直前に『こころ』だと気がついた。同じ夏目漱石のひらがな題名小説ということで、すっかり勘違いしてしまった。しかも、『こころ』は、まだ未読なのであった。
まあ未読ではあっても、自分が好きな女性を、親友も好きだとわかった途端、親友を裏切りその女性と婚約し、親友は自殺してしまい、自分も原罪を抱え苦悩するという大筋は、漠然と知っていた。
主人公は森雅之、親友に三橋達也、二人に愛される女性に新珠三千代森雅之の教え子で、苦悩の告白を受け止める学生に安井昌二
市川崑の演出は、意外とオーソドックス。アップの多用による心理描写は、サイレント映画的手法でもあり、また、昔観た黒澤の『白痴』を思い出させた。(『白痴』も男女の三角関係で、森雅之が出ていたなあ。)
森雅之の先生役は、嵌っていたが、回想シーンの学生役にはかなり無理があった。
三橋達也の梶(小説ではKとイニシャルだけらしい。)も、やはり学生というには苦しいが、煩悩に苦しむピュアな青年をうまく演じていた。
新珠三千代は、気品はあるものの、個人的には魅力を感じられない。(しかし、この気品が、皇族にも愛される理由なのだろうか。)
この映画のキー・パーソンは、学生の下宿先の未亡人で、新珠三千代の母親役の田村秋子だろう。森と三橋と新珠の関係を素早く察知し、目の動き一つで、様々な気持ちを表現している。そして、取りようによっては、森雅之の求婚を、わざと三橋達也に伝えて、彼を自殺に追いやった。原作ではどういう役回りになっているのかは知らないが、田村秋子の存在感は、その芝居のうまさと共に、強烈な印象を残した。
安井昌二の日置(小説では語り手の「私」)の実家の母親に北林谷栄。例によってばあさん役だが、息子の大学卒業証書を床の間に飾るが、ただ証書を垂直に立てるだけなので、すぐ倒れてしまい、何度もやり直す場面がおかしかった。
他に、奈良岡朋子が、先生宅の下女役で登場。まだ若い。
森雅之、田村秋子、北林谷栄奈良岡朋子と、錚々たる顔ぶれの演劇人が出演している映画でもあった。(そういえば安井昌二も、この後新派に行くんだったなあ。)
明治末期の家並のセット撮影は、なかなか。
それにしても、この映画での「ダメ男」とは、森雅之なのか、三橋達也なのか。
原作を読むと、映画の印象も相当異なるのだろう。(いずれ青空文庫で読む予定。今は『坊っちゃん』を読んでいるところ。)

夏目漱石のこころ(新潮文庫連動DVD)

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