二月国立 文楽 二部・三部

kenboutei2011-02-13

二部、三部を通しで観る。
第二部
『菅原伝授手習鑑』
三段目中心で、その前に二段目の道行をつけるという構成。三段目は「車曳」の後、茶筅酒」「喧嘩場」→「桜丸切腹を、千歳→文字久→住で語り分ける。
この3段の連携が素晴らしかった。最近の文楽公演では、特筆すべき成果であったと思う。
千歳大夫の「茶筅酒」は、白太夫の語りに滋味があった。この場を出すことで、その後の白太夫の行動の意味がよくわかる。全体が伏線のような場を、千歳もまた丁寧に語っていて、好感が持てた。
文字久大夫の「喧嘩場」は、持ち場としては短かったが、適度な迫力もあって良かった。梅王と松王の喧嘩は、歌舞伎のようなチャリ場にならず、あっさりしているが、その分、後の緊張を予感させるものでもあった。文字久は、詞だけでなく、音遣いも安心して聴いていられるようになって、感心。
そして、住大夫の「桜丸切腹」。最初から最後まで緊張感が漲る。住大夫の白太夫は、越路大夫のテープで聴いたような理詰めの強さは感じられないが、枯淡の中に頑固さを伺わせる、味わいがある白太夫であった。年齢故に音域も狭く、音量も小さくはなっているが、最近顕著であった後半の失速はなく、何より86歳でここまで語りきれることが驚異的である。(越路大夫の引退年齢よりも既に10歳上なのだ。)
更にこの段で素晴らしかったのは、簑助の遣う桜丸。最初の暖簾口からの出は、歌舞伎でも難しいところだが、簑助の桜丸は、憂いの中に品を保ちつつ、すーっと自然に出てきて、絶品であった。これほど優れた桜丸の出は、歌舞伎・文楽通じて、初めて観た。
幕開きの「道行詞甘替」は、平成16年12月の若手公演の時に観ているようだが、完全に記憶喪失。(過去の日記によれば、寝ていたようだ。)まあ、付け足しのような一幕だが、桜丸が飴売りにやつしているという設定が、面白かった。
 
第三部
義経千本桜』
二段目の「渡海屋」「大物浦」に、「道行初音旅」
「渡海屋・大物浦」は、さしたることもなし。切の咲大夫は、時々、妙な声(奇声に近い)を発するのが耳障り。知盛を遣った玉女は、知盛の荒々しさを表現しきれていない。モタモタした感じでもあった。
一方、道行は、非常に良かった。簑助の静に勘十郎の忠信。
今の簑助は、大病から完全に復活し、更に病気前の簑助の魅力であった華やかさ・派手さ・色っぽさとは異なり、落ち着きと品、優美さを強く感じる。女形の人形独特の誇張した動き(それが女性の可愛さや色っぽさにつながっているのだが)より、滑らかで静謐な動きによって、女性の美を表現しているようであった。ある意味、玉男に感じていた魅力が、簑助にも感じるようになったといえるだろう。
これに対して、勘十郎は、かつての簑助を立役で遣っているような感じであり、それが今の勘十郎には合っていると思う。
従って、今日の簑助と勘十郎のコンビは、往時の玉男・簑助のそれを思い起こさせるものでもあった。
もともと文楽の道行や景事は、人形を観ているだけで楽しいものだが、今日は二人の遣いっぷりに魅了され、気持ち良く劇場を後にすることができた。
 
・・・このところずっと、文楽は惰性で観ていたようなものだったが(実は歌舞伎もそうではあるが)、今日は久しぶりに魅力ある芸に接することができ、今後の文楽通いへのモチベーションが生まれた。千歳、文字久の大夫、簑助、勘十郎の人形、これに富助、清介、燕三らの三味線を加え、彼らの舞台をもっと注目して行きたいと思った。