『白日夢』

kenboutei2011-02-08

神保町シアターの今回のテーマは「文豪と女優とエロスの風景」。にっかつロマンポルノもラインナップに入っている。
ちょうど評伝も読んだところだったので、武智鉄二の、あの『白日夢』を観る。(何と良いタイミングか。)
自分の年代では、愛染恭子佐藤慶の本番で話題になった81年版を思い出すが(そこから武智鉄二の名前も知ったのだが)、もちろんそれではなく、64年版。
武智その人同様、何かと騒がれる曰く付きの映画だが、実際に観てみると、意外にまともな映画であった。衝撃的な映像のオンパレードが続くのかと思っていたが、今の目で観ると、この程度か、という感じ。もちろん、それは時代が変わったからであり、その時代を変える一つの起点になっているのが、この映画であったということにも気がつかされる。当時はやはりショッキングな映画であったことは、理解できる。
精液を連想させる白いインキが飛び散り画面を汚し、女性の吐息が延々と続く。そして、どんな人間でも不快にならざるを得ない、歯医者の電動ドリルの金属音。
ヒロイン・路加奈子は、診察台でのけぞり、医者は路加奈子の口中を徹底的にまさぐる。
横で観ている石浜朗(何故出演しているのだ?)は、全身麻酔で朦朧となり、現実と非現実の狭間、白日夢の世界に入っていく。
歯科医院からホテルのラウンジ、ホテルの一室、デパートと、場所を移りながらも、路加奈子は歯医者の花川蝶十郎に延々と弄ばれ、石浜朗は、それを歯がゆく観るしかない。
結局、もとの歯科医院で石浜朗が麻酔から目覚めるという夢オチとなり、しかし路加奈子には夢の中での出来事だったはずの胸の痣があるという、よくある二段オチのパターンで終わる。
当時の感覚から行くと、SM雑誌をちょっと高等風を装った映画にしてみました、といったところか。斬新なようで古くさい観念性があり、そこが武智鉄二の限界でもあったように思う。
一方で、演じ手(及び演出者)の大真面目なリアクションが(これも今の目で見ればということだが)面白過ぎで、正統なカルト映画とも言える。(矛盾した表現だな。)
さらに見方を変えると、SF怪奇映画という気もしてくる。パートカラーで撮影された、全裸の路加奈子の胸に真っ赤な血が流れる場面での花川蝶十郎の姿は、完全にベラ・ルゴシを意識していると思った。
映画の冒頭にあえて原作者の谷崎の賛辞を入れる武智鉄二独特の権威主義は、ジョークとして捉えた方が良いかもしれない。(森彰英の本にもあった、淀川長治がこのやり方に嫌悪感を持ったというエピソードもよくわかるが、どんな映画でも褒めるはずの淀川長治ですらこの映画を貶した、という森の書き方は、淀川長治の本質を誤って紹介しているようで、強く違和感を持つ。)
ホテルの一室でのSMプレイで、「さあ、今度は電流遊びをしよう」と言うのも、思わず笑ってしまった。
マゾ的役割の路加奈子を何とか救おうとする石浜朗であったが、デパート屋上の遊園地では、怯える路加奈子を小猿に見立てて首輪で飼い馴らそうという演出がある。夢の二段オチにも通じるが、純粋な青年も結局は歯医者のサド的性向と同じものを持っているのだという暗喩を感じ、少し面白かった。
路加奈子は、顔の造形といい、スタイルといい、いかにも昭和の古ぼけたエロ写真の女だが、それだからこその良さもある。また、何と言っても処理をしていない脇毛の存在感が良い。(黒木香より20年以上も早い。)
歯医者は、花川蝶十郎で、まずまずだが、私見としてはこの役は、高英男が良い思った。ゴケミドロ俳優の怪演こそ、この役に相応しい。(そういえば、高英男シャンソン歌手と怪優との二面性と、武智鉄二の芸術活動の二面性は、どこか共通するものがあるのではないかと、ふと思った。)
デパートの警備員の坂本武が、小津映画の坂本武と同じだったので、驚いた。
冒頭のクレジットで、協賛会社の一部が黒塗りで隠されていたが、どこの会社なのだろうか。やはり三越かな。(多分、武智鉄二に騙されたと思ったんだろうな。)
観終わった後、神保町の古本屋で、遠藤龍雄の『映倫 歴史と事件』を手に取り、『白日夢』についての武智鉄二映倫との攻防部分を立ち読み。なかなか読み応えがある。東京の歯科医師団体が、この映画での歯科医の描写に抗議した(そりゃそうだろう)というのが、おかしかった。

白日夢(64年) [DVD]

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映倫―歴史と事件 (1973年)

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