『宗方姉妹』

kenboutei2011-01-14

年始の小津映画。
今回は、高峰秀子追悼の意味も含めて、『宗方姉妹』を選択。「むねかたきょうだい」と読むらしい。
小津が松竹以外で初めて撮った、新東宝の映画。子役の頃を除けば、高峰秀子にとっては、唯一の小津作品。昭和25年作。
タイトルロールの宗方姉妹に田中絹代高峰秀子田中絹代の失業中の夫に山村聰田中絹代が結婚前に思いを寄せ、今も頼りにしている、神戸で家具工房を営む独身男に上原謙上原謙と親しい妖し気な未亡人に高杉早苗。東京に住む姉妹と離れ、癌で余命わずかと言われながらも、一人京都で静かに暮らす姉妹の父親に笠智衆。冒頭にしか登場しないが、父親の癌を田中絹代に告知する、笠智衆の親友の大学教授に斎藤達雄山村聰の行きつけの飲み屋夫婦に藤原釜足と千石則子。
ストーリーは田中絹代山村聰夫婦間の埋められない溝がやりきれない。上原謙との不貞を疑う山村聰は、職が見つからないことを口実に酒浸り。田中絹代はそんな夫の仕打ちにも耐え、貞節を守りつつ、バーの経営で夫を支えるのだが、その誇り高さが山村の癇に障り、別れを切り出され、抵抗すると頬をぶたれ(合計七発)、ついに離婚を決意、上原謙の東京の定宿へ。二人が今後を約束した直後に泥酔の山村が闖入し、紀州熊野川のダム建設の技師としての職が見つかったと語り、祝杯を申し込みながら自分は退出、常連の店で酔いつぶれて帰宅後、心臓マヒを起こしてあえなく死んでしまう。義兄を不快に思っていた高峰秀子は、これで姉と上原謙とが結ばれると喜ぶが、肝心の田中絹代は、死んだ夫に申し訳ないと、かつてデートした思い出の京都の寺で、上原謙に別れを申し込む。
原作は、大佛次郎新聞小説、脚本は野田高梧と小津。
話の流れの重苦しさは、原作の影響だろうが、そこに散りばめられてる会話は、明らかに野田・小津調。古いものを肯定し、新しい世代との穏やかな対立は、いつもの結婚話にまつわる親子の対立と変わりはない。常に洋装で新しい世代の代表である高峰秀子は、「夫婦は耐えるもの、そんなものだ」という姉の生き方を古いと感じ、新しいことや面白いものを求めるが、常に和服の姉の田中絹代は、「本当に新しいことは、いつまでも古くならないことだ」と真っ向から否定する。高峰秀子から相談される父親の笠智衆は、「姉さんは姉さん、お前はお前、好きなように生きたらよい」と、どっちつかずの態度。
対立と諦観。小津映画の変わりなさを確認する一方で、原作の流れの中での違和感のようなものも、正直感じた。(小津的会話の調子が、あまり自然に受け止められなかった。)
夫婦の家に居候している妹の高峰秀子は、この重苦しい話の中で起伏をつける一種の狂言回し的役割。上原謙にわざと結婚を申し込んだり、有閑未亡人の高杉早苗を挑発する。
舌を出す癖を笠智衆にからかわれる場面は、観ている方がちょっとこそばゆいが、上原謙田中絹代の結婚前の逢い引き場面を、徳川夢声の声色で再現し(顔も口をへの字に曲げる)、その後も時折そのモノマネで上原謙をからかうのが面白かった。(高峰秀子徳川夢声は、あの『綴方教室』で共演しているだけに、余計面白く感じた。そういえば、高峰秀子は、『阿波の踊子』でも、長谷川一夫のモノマネをしていた。こういうお茶目な高峰秀子の魅力が、小津映画でも出ていたのが嬉しい。)
高杉早苗との対決の後、ストッキングを直すため、スカートの中から右足をさらけ出す場面や笠智衆と二人縁側で、鶯の鳴き声を真似る場面も印象に残る。
田中絹代は、同じ小津映画の『風の中の牝雞』に続く被虐的役割。高峰秀子の本によると、この映画で小津監督は、米国帰りの田中絹代の台詞にかなり厳しくあたり、田中絹代は自殺したいと漏らしたという。(帰国時の派手な洋装、投げキッスでマスコミにバッシングされていた田中絹代に、和服姿で流行に乗ることを否定する台詞を言わせる小津監督も、かなりサディスティックであるよなあ。)
高杉早苗亀治郎香川照之の祖母だ。)が結構活躍するのも、この映画の魅力。特に、最初に上原謙の工房に登場し、高峰秀子と初対決する場面は圧巻。黒いコート姿で、上原謙にコンサートのチケットを渡すだけなのだが、気取った口調で一瞬にして高峰秀子の反発を買う嫌みな存在感が素晴らしい。
それにしても、せっかく高峰秀子が出ている唯一の小津映画なのに、他の小津映画や高峰秀子映画の中では埋没してしまっている感があるのは、ちょっと残念。

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