正月新橋演舞場 初日・昼夜

kenboutei2011-01-02

本当は明日(3日)、テアトルで海老蔵の初日を観る予定だったのだが、あえなく中止となってしまい、玉三郎の阿古屋では食指が動かず(チケットもすぐ売り切れたそうだが)、結局新橋の初日に来てしまった。やはり歌舞伎座の正月初日に比べると、地味だよなあ。(マスコミも、話題の役者には集まるが、歌舞伎そのものには、全く興味がないことが、最近の一連の報道に接して、よくわかった。)
昼の部
『御摂勧進帳前に国立で観た時は通しだったせいか、あまりそうは感じなかったけれど、一幕だけで観ると、極めて退屈。(演出も、国立の時とは違うようだ。)花道での義経、四天王+αの名乗りなど、作品としては後から出来ているはずの『勧進帳』を意識しすぎ、しかもパロディにもなっていないので、どこを楽しんで良いのかわからない。橋之助の弁慶は、隈取りは立派だが、こういう大らかな芝居を納得させるだけの器には乏しい。種太郎の声や顔の表情が良かったのが印象に残る程度。国生が何か喋っていたなあ。
三笠山御殿』團十郎の鱶七、福助のお三輪、芝翫の求女、芝雀の橘姫、左團次の入鹿、東蔵の豆腐買い。
芝翫初役の求女は、花道の出から足元がおぼつかず、苧環もうまく回せない。まあこれは年齢的なこともあり仕方がないが、抜き衣紋にもなっていない求女で、何だかもっさりしている。そもそもニンではないのだろう、ちょうど一年前の正月にやはり初役で勤めた桜丸ほどの感動は得られなかった。
團十郎の鱶七は、前にも観た記憶はあるが、これもあまり良いものではない。こちらはニンとしてはぴったりだと思うが、芝居が雑過ぎる。刀の柄に酒瓶をひっかけてぶらぶらさせるところで、かなり乱暴に振り回す。あれでは酒は全部溢れてしまうよ。長袴を肩にかついでの引っ込みは、團十郎らしい大きさがあって、ここだけは良かった。
福助のお三輪は、思ったより悪くない。前回の時とはかなり印象が異なる。いじめ官女とのやりとりを、それほど誇張せず、終始控え目にやっていた点も良かった。
東蔵の豆腐買いは、面白味には欠けるが、花道の引っ込みが可愛かった。
芝雀の橘姫はあまり印象に残らない。この人のお三輪を是非観たいものだが。
『寿曽我対面』吉右衛門の工藤、三津五郎の五郎、梅玉の十郎。芝雀の大磯の虎。
三津五郎の五郎での『対面』は、平成20年2月以来だが、前回以上に、甲の声を強調せず、五郎の稚気や荒々しさは抑えている。その代わり、一つ一つの身体の動き、足の先から手の先までの力の入れ方などに神経が行き届き、その様式的な美しさが味わい深い五郎である。また、この五郎にぴったり寄り添う梅玉の十郎が、とても良かった。芝翫と異なり、抜き衣紋もサマになっている。(去年の笑也も見習ってほしいものだ。)
そして、吉右衛門初役の工藤も、見応えがあった。まずは、工藤役者としての座頭の風格。そして、芝居っ気のある工藤。富十郎の工藤とはまたひと味違う、台詞の妙味がある。
工藤が五郎に盃をやろうとする場面、吉右衛門が「五郎えー」と言うと、三津五郎が「何をー」と返す。もう、このたった一言ずつの台詞の交換だけで、面白くて身体がぞくぞくした。
吉右衛門三津五郎梅玉と実に良いバランスの中で、それに伍してぴったり嵌っていたのが、芝雀の大磯の虎。ただ酒を注ぎに動き回るだけだが、そこに何気ない貫禄があった。
朝比奈の歌昇もまずまず。化粧坂少将の巳之助、女形が少しは似合うようになってきた。
昼の部では一番面白い、大人の『対面』。

夜の部
『寿式三番叟』開幕前に、富十郎休演のアナウンス。とたんに興味が失せる。代役は誰かなと思ったが、結局代役はなし。梅玉の翁、三津五郎の三番叟、魁春の千歳に鷹之資の附千歳。もともと翁が二人という配役は、富十郎休演の可能性を織り込んでいたのだろう。さすが松竹。
・・・寝ているうちに終わる。
(→4日追記。これをアップする前に、富十郎の訃報に接する。最近続いていた休演は、膝が悪いだけではなかったようだ。合掌。)
『実盛物語』團十郎の実盛は、初めて観るのだが、これが意外に良かった。台詞に難がある役者なので、いつも丸本物の時はあまり期待しないのだが、この『実盛物語』は、実に面白かった。といって、台詞が良いわけでもなく、芝居がうまいというわけでもない。それでも團十郎の実盛は、他の実盛役者にはない、良さがある。
何故かと考えると、この芝居に、現実を超えた荒唐無稽的なところがあるからではないかと、思う。
切断された腕をくっつけると、死んだ女が息を吹き返すなどというあり得ないことを、團十郎の実盛は、さも当然のような顔をして、横で見ている。そんな團十郎を見ていると、観客の方もまた、いつの間にかこの芝居を自然に受け入れているのであった。
文楽にはこういう奇跡譚が少なからずあり、それはややもすると馬鹿馬鹿しいと感じる部分もあるが、人形が演じていることで、ある程度納得できるものでもあった。人形が奇跡を表現するのに相応しい媒体であるということだが、團十郎もまた、そういう存在なのだ。團十郎は、人形同様、この奇跡譚の世界の住人になっている。だから、自分は團十郎の『吃又』なんかも好きなのだ。荒事また然り。不思議を不思議と思わせない、不思議な役者。超現実役者。
魁春の小万。この人もどちらかというと不思議の世界の人。
福助の葵御前。福助は不思議の人ではないが、今日は神妙で良かった。
段四郎の瀬尾は、まだ台詞が多少入っていないが、力強さがあって良い。一旦引っ込む時、つけていた裃を頭に被って下がっていくという、珍しい型を見せた。(筋書のインタビューによると、八代目訥子がやった型とのこと。)
市蔵、右之助の老夫婦コンビも、ほのぼのと良かった。
『浮世柄比翼稲妻』『浪宅』と『鞘当』の二場。『浪宅』を観るのは、おそらく初めて。(観る前は、国立での通しの時に観ていたものと思っていたが、後から確かめると観ていなかった。)
いつもの『鞘当』だけのイメージからは、あまり面白味を感じていなかったのだが、この『浪宅』は、かなり面白かった。雨漏りのするボロ長屋での、場違いな登場人物のやり取りがいかにも南北の世界で、それを名古屋山三の三津五郎、下女のお国と傾城葛城の二役の福助が、見事に演じきっていた。最初は観たけど忘れた芝居だと思い込んでいたので、こんなに面白かったかなあと、変に戸惑いながら観ていた。(相変わらず、自分の記憶は当てにならない。)
この『浪宅』があると、次の『鞘当』も、やってることはいつもと同じにもかかわらず、印象が違って見えた。特に、前の場から出ている三津五郎の山三の、しなやかな所作に見とれた。編笠を被って、踊るような歩くような、何とも言えない優雅な動き。さすがである。『鞘当』単独の時は、あまり注目もしていなかった(むしろ早く編笠を取ってくれとさえ思っていた)、この出の動きを楽しめたのは、前の場での三津五郎の山三が良かったからだと思う。
そう考えると、『鞘当』で初めて登場する不破の橋之助は、ちょっと不利だったかもしれない。一連の所作も、三津五郎に比べると、ぎこちなさが目立つ。
留女は福助。ここもすっきりしていて良い。(福助は今月、全ての役がまずまず良かった。)
ということで、全く期待していなかった、この『浮世柄比翼稲妻』が、今月一番面白かった。
(自分のこの芝居に対する「つまらない」という印象は、どうやら一昨年の『浮世柄比翼稲妻』のせいだったようだ。この時は『鞘當』・『鈴ヶ森』という組み合わせで、これが「通しで観た」という記憶の混乱にも繋がっていたのだろう。)