五月国立 文楽公演 第二部

kenboutei2010-05-22

第二部は『新版歌祭文』の半通し。
「野崎村の段」以外を観るのは初めて。
結局、お染と久松は、どうしようもないバカップルだったのだなあ。せっかく周囲が色々と手を差し伸べて二人を助けようとしても、後先考えずに、結局は心中してしまう。自分達はそれで良いかもしれないが、残された者達の徒労感とその後の苦難はいかばかりか。そういう想像力がない。全く困った子供だ。
若者の熱い思いと大人の理屈とは、なかなか混じり合わない。それはお染久松の時代も同じだったのだ、ということを考えさせられた、半通しであった。
「蔵場の段」での母親の腹帯の話は、自分が役者に入れあげて懐妊したと言いつつ、娘へ堕胎を勧める話なのだが、母親が本当に(不倫の末に)懐妊したのか、それとも娘のための嘘なのかがわからず、今もまだわかっていない。(ちゃんと床本を読めばわかるかな。)
人形では、蓑助のお光が見事。ほんのわずかな動きだけで、お光の多様な感情が表現される、その超自然な技巧に感嘆。特に、恥じらう時のお光が最高であった。勘十郎の敵役・小助の滑稽味も良かった。
「野崎村の段」は、文字久→綱→住と床が引き継がれる。文字久は、場面の切り替えの語りうまくなっていた。
住大夫、今日の床の出来は、これまで聴いてきた中でも最も低調。声が続かない、聴こえない。サワリなど、三味線の見せ場とはいえ、声が完全に三味線に負けていて、聴いていて悲しくなった。
85歳を超えても舞台に出ていることには、敬服するし、それだけで有り難いことだとは思うが、これが現実なのだということも、今日は思い知った。
他に『団子売』。いつもの通り。