国立劇場 前進座『切られお富』

kenboutei2010-05-16

今年は特にチェックもしていなかった、五月の前進座国立劇場公演だが、昨日、文楽を観に国立に行ってみて、隣で上演中なのを知る。文楽一部が終わっても、夕方の部には間に合うようだったので、急遽、当日券を購入。(現金の持ち合わせが足りず、文楽の休憩時間に自転車でコンビニまで行って、お金をおろした。)
小劇場終了後、隣の大劇場へ。一階一等中央席。
最初は、嵐広也の七代目芳三郎襲名の『口上』。梅之助、圭史、矢之輔、国太郎に、新芳三郎。前進座の場合、何かにつけて創立◯周年という枕詞がつく。梅之助の今日の口上では、「来年で創立80周年」と言っていた。(果たして、80周年記念の口上を、自分は観に行っているのだろうか?)
休憩を挟んで、『切られお富』。本名題は『処女翫浮名横櫛』。もちろん『切られ与三』の書替狂言だが、自分は観るのは初めて。
手際良くコンパクトにまとめられており、面白かった。もともと観るつもりがなかったこともあるが、意外な掘り出し物といった感じ。梅雀や菊之丞の不在も、あまり気にならなかった。
国太郎のお富は、まだ全身を切られる前の時は、さしたることもなかったが、第二幕で切られお富となってからは、仇っぽさ、伝法な感じが出てきて、良かった。生で観たことはなかったが、祖父五代目国太郎の雰囲気、風貌が漂っているようにも思えた。
国太郎のお富は、形や動きの見栄えが良くなく、花道を引っ込む時の歩き方なども、何ともぎくしゃくしている。綺麗でもなく、品も良くない。しかし、そうした国太郎のガラの悪さやガサツな声などが、かえって魅力的に見え、切られお富とは、こんな女だったのだろうと、妙に納得させられるのであった。悪婆ものをしっかり演じられたというのは、大手柄である。
それに対して、新しい芳三郎の与三郎は、極めて平凡。特に面白いところはなかった。ただ、広也の時から思っていたのだが、彼は、顔の作りが豊国描く三代目菊五郎に似ているので、何だか気になる存在である。
蝙蝠安は矢之輔で、これがなかなか味があって良かった。ベテランながら、歌舞伎味の薄い役者だと思っていたのだが、硬軟綯い交ぜの熟達した芝居を見せてくれた。
そして、何と言っても、梅之助である。今回は、赤間源左衛門一役だが、他の役者とは、次元が全く違う。
例えば、第一幕の赤間妾宅の場で、按摩に身体を揉んでもらい、会話の中で按摩の出自が自分の過去に関係あることだとわかると、さっと顔色が変わる。ほんのわずかな目つきの変化だけで、悪党であった赤間源左衛門の過去を、観客にもはっきりと理解させ、芝居の奥行きを深めていくのである。
今年80歳。立ち上がる時にふらつく場面もあったのだが、その存在一つだけで、舞台の空気が違って見えるのは、本当に凄いことである。動きや台詞のキレは、往年に比べると衰えを否めない。しかし要所での手強い台詞廻し、表情、捕り手との立ち回りで見せる形の良さと大きさは、前進座だけでなく、松竹の役者の中でも、匹敵し得る者はいないだろう。
今日の梅之助は、単に第三世代中心の芝居を締める存在だけでなく、(あえて書くが)滅びつつある前進座(それは、滅びつつある昭和の歌舞伎と同義かもしれない)の、最後の生き証人であるとさえ思った。
さよなら歌舞伎座で騒ぐよりも、もっと観る価値のあるものが、今日の国立劇場にはあったということだ。(危なく見逃すところであった。)
今更言っても詮無いことだが、松竹は、歌舞伎座を取り壊す前に、もう一度だけ、前進座を舞台に挙げるという粋な計らいはできなかったものだろうか。(歌舞伎座での梅之助を観たかった・・・)