『巨人傳』

kenboutei2010-03-16

神保町シアターで『巨人傳』。伊丹万作監督、昭和13年東宝作品。一昨日歌舞伎座の帰りに立ち寄る。
今回の神保町シアターの特集は、「乙女映画」ということで、高峰秀子若尾文子吉永小百合などは言うに及ばず、山口百恵薬師丸ひろ子斉藤由貴など比較的最近の映画でのアイドルをも取り上げた、意欲的な企画。
その中で、この『巨人傳』は、原節子が十代で出演しているということで選ばれたのだろうが、大河内傳次郎主演で『レ・ミゼラブル』を翻案化したこの映画を、「乙女映画』にカテゴライズしてしまうのは、神保町シアターもちょっと悪ノリという気がしないでもない。(まあ、観る機会を与えてくれたので、個人的にはありがたいのだが。)
むしろ、脱獄した怪力男を演じる大河内傳次郎の魅力が満載の、「男の映画」であった。
実は『レ・ミゼラブル』は原作も舞台も全く知らないので、それをいかに翻案したのかはよくわからないのだが、映画が始まる前に伊丹監督による、この映画を作るのがいかに難しかったかという言い訳めいた解説文がつくくらいだから、まあ、なかなか大変だったのだろう。
大河内伝次郎は、突然ある町にやってきて、町長にまで上り詰めるが、服役中に監視人を殺し脱獄した過去を持つ。別の男が誤認逮捕され、冤罪を防ぐために自ら出頭。(ここは大河内傳次郎が二役を演じて面白い。) 改めて逮捕されるが輸送船が難破し、この機に隠遁生活となり、強欲な家で虐げられている少女を引き取る。少女は美しく成長し、近所の英語教師と恋に陥るが、西南戦争(!)によって恋人は死んでしまう。
丹下左膳や侍のイメージが強い大河内傳次郎だが、ここでは散切り頭で、町の名士。フロックコートを着こなし、馬車にも乗る。新劇的な台詞を使いこなすのにも驚いた。(しかし、あくまで大河内流であるところが良い。)
原節子は、少女が成長してからなので、出演シーンとしては比較的少ない。おかっぱ頭の可愛さ。英語のカードやトランプを扱う手の美しさが印象に残る。清楚でいながら大人の女の色香も漂わせるのは、同じ十代でも、山中貞雄の『河内山宗俊』の時よりも3年の歳月を経ているからであろう。
映画として一番好きな場面は、大河内傳次郎が少女を引き取り、二人で露天風呂に入っての会話。少女が自分が生まれた時、ご飯粒がついていなかったかと聞き、大河内傳次郎が笑い出し、一粒一粒、子供の口元からご飯粒をとってあげる仕種をする。この時の大河内の自然な演技が実に味わい深い。
戦争スペクタクルも交えた、2時間超の大作。ネットで検索してもあまり引っ掛からない(ドラえもん映画の似たタイトルが邪魔をする。)が、『レ・ミゼラブル』との比較はともかく、伊丹映画・大河内映画・原節子映画のいずれの側面からでも、もっと語られて然るべき名品であると思う。