『戸田家の兄妹』

kenboutei2010-01-05

恒例の「小津初め」。今年は、『戸田家の兄妹』を観る。昨年観た『淑女は何を忘れたか』の次の作品。
かつて、学生時代に札幌のどこかの会館(厚生年金会館だったかな?)の視聴覚室のようなところで観て以来。
当時はちょうど小津に嵌りかけた頃。もっぱら小津映画の特徴でもある低いアングルと固定カメラに興味が集中し、従って、この映画では、高峰三枝子と母親が坂を降りるショットが小津には珍しい移動撮影であったとか、そういうことしか覚えていない。
あれから20年以上経過し、40代半ばになって改めて観ると、そんなカメラ移動がどうのこうのより、やはり家族が崩壊していく様子に強烈に感じるものがある。(とはいえ、記憶していた坂の場面でカメラが移動すると、やはり嬉しく思ったが。)
名家の主人が急死し、家を整理、残された未亡人と未婚の娘は、既に家族を持って独立していた長男や長女の家を転々とし、最後は、風来坊で中国に行っていた次男・佐分利信が、父の一周忌の集いで、長男・長女・次女の夫婦をことごとく面罵し、母と高峰三枝子を引き取る。
過去に観た時は、この一周忌での佐分利信の言動に、スカッとさせられたものだが、今となると、どうしても面罵された兄妹達の心境も気になってしまい、そう単純には受け止められないでいる。『東京物語』でも感じたことだが、家族問題は、どちらか一方にだけ非があるものでもない。いや、是か非かを問うこと自体にそもそも無理がある。
まあ、あまり突き詰めていくと、(高齢別居家族を抱える)自分に返ってくるところがあるので、深く考えないことにするが、それにしても、家族というのは古くて新しい、永遠のテーマなのだなあ。これも学生の頃、たまたま知り合いになったラジオ・ドラマの制作プロデューサーが、「最近のドラマのテーマは家族」と明言していて、そういうものかと思ったものだが、21世紀の今だって、同じようなものだ。ついさっき、NHKのニュースでは、単身世帯の問題を取り上げていて、その深刻さをしきりに訴えていた。(これも人ごとではないんだよな。)
小津のこの映画も、実はアメリカ映画を下敷きにしたというから、古い新しいだけではなく、広く世界共通のテーマでもあり、だからこそ小津映画は、普遍的なものとして国際的にも受け入れられているのだろう。(今気がついたのだが、黒澤の『乱』だって、「家族もの」であり、親がたらい回しにされる設定は、『戸田家の兄妹』と全く同じである。あんなに大仰な映画にしなくとも、世の無常については、戦前の小津映画で示されていたのであった・・・。)
冒頭、次女の坪内美子、長男の嫁の三宅邦子と三女の高峰三枝子の三人の会話によって、現在の家族状況をてっとり早く説明するという、小津よりも成瀬的な演出で始まったのが、今回新たに面白く思った点。
高峰三枝子は、前に観た時は何とも思わなかったのだが、とても愛らしく、かつ品があり、素敵だった。『舞姫』『挽歌』の時よりも、良かった。切れ長の目、すっきりとした鼻立ち、透明感のある肌。七之助に似ているようにも思った。
そして、高峰三枝子の友達役に、桑野通子。(実は今回このDVDを選んだのも、それが理由であった。)少し台詞廻しに、無理な背伸び感があったが、洋装だけでなく、和服姿も結構似合っていた。高峰三枝子が、兄の佐分利信のお嫁さんとして桑野通子を紹介するラストは、観ている方も何だか嬉しい気持ちになった。(この感覚も、学生時代にはなかったことだ。)
長男の斉藤達雄、長女の吉川満子の他、坂本武と飯田蝶子笠智衆の小津組もしっかり出演。母親役の葛城文子も、味わい深い名演。
昭和16年の作だが、佐分利信の中国天津行きを除いては、ほとんど戦争の匂いを感じさせない、ゆったりした時が流れている。

小津安二郎 DVD-BOX 第三集

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