『綴方教室』

kenboutei2009-12-19

神保町シアターは今日から高峰秀子特集。映画館限定発売のシアター叢書『女優・高峰秀子』を買うと、今回特集のポスターをくれた。
今日は山本嘉次郎監督の『綴方教室』を観る。
タイトルが右から左に動的に流れて紹介され、更に原作者の豊田正子、出演者の高峰秀子徳川夢声清川虹子滝沢修らが、写真付きで紹介されていく。
続いて、舞台となる場所を地図で指し示し、東京都の鳥瞰図がズームアップし、葛飾、四つ木のところに矢印が出てきて、「ココ」と教えてくれる。往年のハリウッド映画での、飛行機の映像と共に地図が出て出発地から目的地を矢印でつなぐ演出(スピルバーグインディ・ジョーンズ・シリーズでもお馴染み)を彷彿とさせる、映画的楽しさ。
昭和13年の白黒映画なのだが、意外な程明るく、ポップな感じで始まることにまず驚いた。
一学期、二学期、三学期と章分けされ、ブリキ屋の長女である小学校6年生の豊田正子高峰秀子)の一年間を、本人の綴り方をベースに辿っていく。
「村の鍛冶屋」を唄いながら、放課後、小学校の子供達が生き生きと自宅に帰って行く姿を観るだけで、何か今では失ってしまったものを観ているようで、思わず涙ぐんでしまった。(自分でも全く意外な反応であった。)
その子供たちの中でも、やはり高峰秀子は突出した可愛らしさ。背が伸びたせいで短くなっている一張羅の着物から見える、スラリとした肢体。アイドル映画『秀子の車掌さん』などは、まだこの後のことだが、14歳にしてすでにその萌芽、いや貫禄すら漂わせている。
自分がこれまで観てきた高峰秀子の映画の中でも、かなり印象度の強い作品である。(映画としても純粋に優れている。)
教師の滝沢修に導かれて、綴り方に熱中し、ついには雑誌に掲載されるまでになる高峰秀子だが、そこに載った文章の中に、父親の口入れ元の家の悪口(他人の言だが)を書いてしまったばかりにトラブルとなる。ブログ全盛の今にも通じる、表現の自由とプライバシーの問題を取り上げているのも興味深かった。(この映画は舞台にしても面白いと思う。)
雑誌掲載の褒美に買ってもらったワンピース姿の高峰秀子が、自分の招いた出来事に怯える表情が、切なくも愛らしい。
東京下町の庶民生活のリアリズムは、同じ神保町シアターで観た、成瀬の『はたらく一家』を思い出させた。(『はたらく一家』の主人も徳川夢声。母親は本間敦子で、『綴方教室』では隣のおばさんである。)とにかく貧乏で、何もない。その日暮らしで、職にありつけなければ今日の飯にも困るという生活。これに比べると、今の時代のホームレスの方がよっぽど贅沢に思えるくらいなのだが、それでも家族の絆は強く、近所の人と助け合いながら必死に毎日を暮らしている様子は、物質的豊かさと社会の健全性が決して比例するものではない、ということを考えさせるのであった。
綴り方のトラブルについて、教師の滝沢修高峰秀子の家を訪れる。突然の来訪に徳川夢声清川虹子夫婦は驚くと同時に、平身低頭して先生を迎え入れる。生徒の作文をチェックもせず、雑誌社に勝手に送った教師の軽率さを責めるどころか、恐縮しまくりの親の態度は、最近のモンスター・ペアレンツなどの報道からすると、まさに隔世の感である。(自分の小学生の頃も、家庭訪問などでの親の態度は、まだこの映画と同じようだったのだが。)
ラスト近く、校庭で卒業式の記念写真の撮影をしている横を、下級生が通り過ぎる時、いちいち帽子をとってお辞儀して帰って行く。教室の窓からは、写真撮影を明るくからかう子供達の笑顔がある。
戦前の教育はとかく軍国主義と関連付けて否定されがちであるが、「学級崩壊」と騒がれるまでに至った戦後の民主主義教育(「ゆとり教育」だけに限らない)に比べて、それほど酷い時代であったのだろうかと、ふと考え込んでしまった。(別に教育勅語を復活せよとまで言うつもりはないが。)
卒業式後、高峰秀子が先生の腕に縋り付きながら、他の生徒と一緒に帰路につくのだが、こういう生徒と先生の美しい情景は、いつの時代でも残っていてほしいものだ。
家庭内での揉め事に、時計の音や雨音で不安心理を表す演出。高峰秀子が「やだやだ」とつぶやく時の少女とは思えぬ大人びた表情。
かと思うと、隣のおばさんの本間敦子が一旦田舎に返され、クリスチャンになって戻ってきた時の言動を、弟と奇異な目で観るところは、子供の視点の残酷さがある。
子供の視点という面では、母親の清川虹子が、近所の芸者を引き合いに出した時に、高峰秀子が自分も芸者にされるのではと思い、急に食事をやめる場面がある。直裁な表現ではなく極めて映画的なシチュエーションであり(ここでの高峰秀子の演技も素晴らしい)、もしこれが原作の豊田正子が「ありのままの」綴り方に書いていたとすれば、ちょっと恐ろしい。(原作も読みたくなってきた。)
子供や女性が、荷物を頭の上に乗せて歩く、アジア的な一場面も印象的。
滝沢修は、これまでも多分観ているのだろうが、今回初めて意識的に観た。やはり舞台人らしい一本の芯がある。
本間敦子を子供と共に追い出し、すぐに若い後家をもらう隣の男に三島雅夫。(こういう隣家の事情も、豊田正子はあけすけに書いていたのだろうか。)
後半の展開はややまとまりを欠くきらいもあったが、昭和10年代前半の実景に何だか感傷的になり、ウルウルしながら観てしまった、心に染みる映画。

新編 綴方教室 (岩波文庫)

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