江戸東京博・「うるわしき大正新版画」展

kenboutei2009-11-06

社外勤務のついでに両国へ行き、江戸東京博物館の特別展「よみがえる浮世絵−うるわしき大正新版画」展を観る。
浮世絵好きといっても、自分の興味の対象は主に明治初期までの役者絵中心。とはいえ、同じ役者絵という分野でいけば、いわゆる大正期の新版画における春仙や耕花、それに夢二の絵も範疇に入ってくるわけで、事実、結構好きである。
また、歌舞伎に夢中になる以前は、浮世絵といえば、写楽を別にすると、広重の他、小林清親や井上安治のような風景画の方にむしろ魅力を感じており、その延長線上で、川瀬巴水や吉田博にも親しみを感じている。
そういうわけで、この大正時代の新版画の展示は、とても楽しかった。新版画運動の過程も丁寧に説明しており、勉強になる展示でもあった。
新版画運動初期の、橋口五葉の「化粧の女」は、肌に当てている化粧刷毛からその匂いが漂うような質感があり、そして歌麿の時代に勝るとも劣らないほどの、髪の毛一本一本の繊細な描写と彫りの超絶技巧に、しばし言葉を失う。

髪の毛の描写ということでは、同じ五葉の「髪梳ける女」の圧倒的なボリュームと優美なウエーブも素晴らしい。

構図や色調を日本画に近づけることで、もともと俗な芸術である浮世絵(役者絵はその典型であろう)を、雅なものに昇華させようというのが、新版画運動の一つの方向性だったのではないかと、五葉のデッサン画などを観て思い至った次第。
そういう意味では、日本画の大家である伊東深水をこの運動に引き込んだのも、象徴的である。

その一方で、小早川清(今回初めて知った。)の近代時世粧シリーズにおける女性の艶美な表情は、歌麿美人画大首絵の流れに連なる、俗の美の極地のようにも思える。
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いかにも「モダーン」という言葉がぴったりな、小早川清の女性は、時代は少し下るが、『浪華悲歌』の山田五十鈴を連想させた。(近代時世粧シリーズも、実は昭和初期の作品であった。)
もちろん、名取春仙や山村耕花の役者絵もじっくり堪能。春仙の「二代目猿之助の生田角太夫」など、あまり観たことのない絵もあったのが収穫であった。
巴水や吉田博、笠松紫浪、土屋光逸などの風景画も、どれもが美しく、全く駄作がないように感じるのは、江戸期の錦絵と違って、新版画の場合、保存状態が良いということも、一因か。


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まあ、いちいち挙げていてもキリがない。後は図録で楽しもう。
巴水の「増上寺の雪」の版画制作過程の紹介も、興味深かった。(9枚の板木で42回も摺っている!)